12月3日(月曜日)
昨日は宇和島市歴史資料館に於いて、(小生として2回目の)文化講座で話をしました。
その折館内に展示されていました宇和島市の<古地図>を発見しました。
ご覧の様に宇和島を知る人だったら<どこの地図?>と言われるくらい現在とは可なり様子が異なるものだったのです。
写真中央の山(緑色)が城山、右手の緑が小生宅付近にある山沿い、写真上部の緑が駅周辺の山塊(丸山付近)、さらに左手下隅の赤丸は現在の歴史資料館付近です。
この地図は、1601年頃に作成されたものを復元されたものだそうです。
この資料館には他にも数点の古地図が展示されていますので、年代ごとに見比べるといろいろな事が分かると思います。
この地図では城の周りの濠(ホリ)が描かれていることや、城の西に広がる開拓地(新田地区)などがまだ描かれていないことなど、現在の地形とはかなり違っているのです。
なおこの古地図は、写真左手が<北>、上部が東を示します。
この後明治時代にかけ各所で埋め立てられたり、また河川の付け替えがあったりで様変わりしています。
なお写真左上部隅には、現在の予讃本線が描かれていますが、これは分り易くするためなのでしょうか?(桜54)
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