2011年10月31日月曜日

補導と指導(54:標識無視!)

10月31日(月曜日)
 今日は朝から腰の調子が悪いのですが、ちょっと歩いて用事を済ませてきました。
 薬屋と郵便局及び学校へ行ってきたのです。その折目についた事がありました。
 薬屋の近くに信号機があり、その信号機は押しボタン式なので通常は点滅信号となっているのです。誰かがボタンを押していましたので国道筋信号は<>でしたが、1分ほど経ちましたので<>となったので横断歩道を渡ろうとしましたら、国道を突っ走ってきた車がありました。また別の場所(小学校の近く)の押しボタン式信号機交差点でも同じようなケースがあったのです。
 いずれも女性運転の軽自動車でした。何時も通る道なので「信号は点滅」と思い込んでいるのでしょうか?それとも遠くの信号機を見て走っているのでしょうか?
 さらに別の信号機のない交差点では、車が通っているにもかかわらず<一旦停止>の標識を無視して突っ走ってきた単車もありました。この3件の事象はいずれも女性でしたが、前者は若い女性、後者は老齢の女性でした。
 良く聞く話に、<女性ドライバーは前の車について行くので恐ろしい>と!信号や標識は全ての車に適用されるのです。見落とさないよう気を付けて下さい。(桜54)

仕事遍歴(45:南極へ?)

10月31日(月曜日)
 いよいよ今日で10月も終わりで、月日の経つのは早いですね。
 さて昨夜「南極大陸」のテレビ放送があり、それに関し思い出したことがあります。
 小生が気象庁に居た(昭和46年)頃、南極へ気象庁職員も<気象観測>の一員としてメンバー派遣することになり、各地の職場から推薦された職員を本庁に集めた時期がありました。参集された職員を一定期間、研修のため気象庁本庁や気象大学校で研修を開始したのです。本庁での研修講師(の一人)として、小生が<天気図の記入の仕方>を講義したことがありました。
 約1ヶ月間、気象電文を見て天気図に細かく書き入れる研修でした。当時の年齢が未だ20代中位でしたが、全国から集まった(気象庁、研究所、大学等の30~40代職員)20人前後の人に研修を行ったのです。
 一方転勤後、何かのはずみで<南極への派遣推薦?>の話が舞い込んできましたが、小生は断ったような定かでない(?)記憶があります。
 そういった過去の事象をこのテレビを見ながら思い出したのですが、もし(南極に)行っていたら現在どのようになっていたのでしょうか?人生どのようになるか分りませんね!(桜54)

2011年10月30日日曜日

仕事遍歴(44:通信機器の変遷①)

10月30日(日曜日)
 小生が気象庁(室戸岬測候所う)に入庁してから、通信機器の変遷がかなりありました。
 小生の入庁時には有線系と無線系の通信回線があり、有線系には<音響ブザー方式(モールス信号方式)>のいわゆる<トン・ツー>の送受信機があったのです。耳で聞いて手で書く方式なので、かなり熟練を要しました。小生たちも丸3ヶ月間毎日先輩に教え込まれました(昭和30年代後半)。
 その後は、テレタイプ方式となり速度がかなり向上しましたが、この頃の打鍵方式は、一般方式と気象庁方式があり打鍵の羅列が異なっていたのです(昭和40年代前半)。
 またその当時の気象庁では、大型コンピュータの導入で電子機器解析の試験をやっていましたので、気象庁ではその大型コンピュータを冷却するため、その特別の部屋だけを一定温度にする必要性で冷房装置があったのです(昭和40年代前半)。小生の作業現場とその大型コンピュータの部屋が隣り合わせでしたので、冷暖房の恩恵を受けていました。また当時は全館冷暖房ではありませんでしたので、休み時間には他の職場の職員も冷暖房の恩恵を受けに来ていたようです。
 その数年後地方でも徐々に電子機器の導入計画がありましたので、電子機器に慣れるよう職場研修が盛んに行われるようになりました(昭和50年代)。
 小生も電子機器に慣れるよう自前でワープロを買い練習をしましたが、前述しましたキーボードの羅列が普及電子機器と異なりましたので当初は戸惑いました。(桜54)

家の管理(79:秋に蛙?)

10月30日(日曜日)
 昨日夕方、庭の池に設置しています浄水器の掃除をしていた時、何処からともなく蛙の鳴き声が聞こえてきたのです。その声の主はまさしく<蛙>だったのですがどうも腑に落ちません。
 最近徐々に気温が下がっていますので、そろそろ<冬眠の準備などしているのでは?>と思っていたのです。姿かたちは見えなかったので定かではありませんが、鳴き声からすると<かじか>のような鳴き声だったのです。
 声の大きさからすると、小生宅の庭のような感じがします。と言うのは、付近の住宅にはほとんどがセメントでカバーされていますし、またあっても踏み固められた小さな道があるだけなのです。よって小生宅の庭の一部か植木鉢を置いてある片隅かしか無いのです。
 どちらにしても気温が徐々に下がっている現在、「何で蛙が鳴くの?」と不思議な感覚で孫と共に鳴き声を聞いていました。(桜54)

2011年10月29日土曜日

健康管理(65:グランドゴルフ大会)

10月29日(土曜日)
 今日は宇和津彦神社の秋祭りで、宇和島市街のほぼ半分がこの祭りの区域で各所で山車の掛け声が響いていました。
 さて写真のように午前中から、交通安全協会主催の高齢者グランドゴルフ大会があり、協会役員として出席しました。
 当明倫校区の長寿会(老人クラブ)からも2チームが競技に参加しました。小生も<1チーム作らねばならなくなった>とのことで急きょチーム編成に加わったのですが、何せ今までやったことのない競技です。でも何とか1ラウンドはこなしましたが途中から腰が痛くなり他の人と交替しました。
 高齢者が多くしかも日頃から体を動かしておられますので、競技の点数も急に編成したチームよりはるかに高得点を出されました。
 我が明倫校区のチームが団体2位に、個人賞では交安協明倫支部の一人が優勝されました。
 当初は上天気でしたが、次第に雲が厚くなって終了時には黒い雲に覆われましたので、今にも雨が降りそうになったのです。
 健康だといろいろな行事や競技への参加が出来ますので、日頃から健康管理には関心を持ちたいですね。(桜54)

桜つれづれ日記(88:一杯の楽しみ)

10月29日(土曜日)
 このグラス(コップ)は小生が毎晩使用(愛用)しているものです。
 小生の楽しみに<晩酌>をする習らわしがあります。しかし夕方から出て行く時(会議や送迎等)がある時にはこのコップは使用しませんが、夕食事時には必ず使用します。
 このコップに5分の2ほど(コップ中央に横文字2列ありその中間くらい)に焼酎(25度)を入れ、後はコップ上部まで水を入れた<一杯の酒>が「楽しみの水」としてあるのです。
 酒を飲む人は、「おかず(副食)があるから酒を飲む」、と言う人がいますが、小生は<飯の代わりに酒を飲む>のです。だから一切飯やラーメンなどの麺類は食しません。言えば、水(酒)とおかす(副食)だけなのです。
 このように一杯の酒が毎晩の<楽しみ>なので、飲めない日は<落胆>します。(桜54)

2011年10月28日金曜日

畑の管理(31:執念が実る)

10月28日(金曜日)
 今朝から腰の調子が悪く、貼り薬を貼り、痛み止めを飲んだのですが一向に効き目がありません。でも女房殿が「畑に行くのなら付いて行きますよ」とのことだったので、思い切って行くことにしました。
 早速畑の管理者宅に行って草刈り機を持ち出し、先日刈り残した草刈りを実施しました。また女房殿は、2週間ほど前掘った芋の残りを掘りました。と言うことで、<11月3日までに何とかしなくては!>との思いがようやく実りました。
 先日の残りの草刈り面積は比較的少なかったので早く済みましたし、芋の方も掘り易かったのか草刈りとほぼ同時に終わりました。
 よって畑は広々とした平原と化しました。これで来年3月頃までは草刈りの実施はありません。でも畑に行くのは11月に入ってから<畝作り>に行きます。年末までに蒔かねばならない種と馬鈴薯です。動けるうちは動くようにしています。
 今日は畑から帰ってからも、按摩機にかかったり体操をしたりでテンヤワンヤしています。(桜54)

桜つれづれ日記(87:新聞に載る)

10月28日(木曜日)
 今月2日市内ホテルで<第48周年同期会>があり記念写真を撮りました。その折、この記念写真は<新聞に投稿します>との一言がありましたので、何時掲載されるか待ちに待っていたのです。
 今朝早く友人から携帯に「今朝の新聞に載っているよ!」と電話がかかってきました。丁度起きて朝の作業をして一段落している最中でしたのでしばらく話をしました。年をとるとやはり体の異変の話ですね。
 それはさておき、2年後にはやはり宇和島市で<卒後50周年記念同期会>を盛大に行うようなので、体調管理を十分にし出席するつもりです。
 遠く東京などからはせ参じた当時の若者たちとの再会は、懐かしくもありまた励まし合う仲間として何時までも友好を深めたいですね!(桜54)

2011年10月27日木曜日

学習してみよう(26:我が母校で)

10月27日(木曜日)
  我が母校である宇和島市立明倫小学校で、<ときめきサイエンス授業>を行いました。
 5年生4クラスと4年生の1クラスの生徒を前に2時間授業を行いましたが、話が長くなって予定したスライドを全て話す事が出来ませんでした。

 小生たちの職場用語は専門的なものが多いので、一つ一つを説明しますと2倍の時間がかかりますので、判ると思われるものは省きましたがそれでも時間が足りませんでした。
 現在生徒が習っている項目は予め聞いていましたので、ほぼそれに沿って話を進めたのです。でも肝心な事を話すには前段が必要なので、どうしても時間が足らなくなるのです。
 やはり熱心に聞いてくれる児童はメモを取りまた質問を出すなど活発でしたが、興味のない児童はあくびをするなどして先生の注意を受けていました。
 今年度12月までの予定はこれで終りですが、三学期の予定は12月に入ってからのようです。1校ぐらいあっても良いのですが・・・。(桜54)

補導と指導(53:死亡事故)

10月27日(木曜日)
 今朝はかなり冷え込み、朝の最低気温は10度を切って8.8度となっています(この秋一番の冷え込み)。
 さて今朝の新聞(愛媛新聞)を見ますと、東・中予ではこの3日間に3人の死亡が発生したとのことで、県警察本部では今年12回目の<警戒宣言>を発令したとのことです。
 高齢者の無謀な道路横断による死者がかなり増えているそうで、<見える取り締まり>に力を入れ、横断歩行者妨害などを中心に取り締まりを強めるそうです。
 一方宇和島署管内では目立った事故は無く、特に宇和島市内の死亡事故は昨年9月20日以降一件も報告されていません。小生たち交通安全協会の努力ではなく、歩行者や運転者など多くの方の意識がそうなっているのでしょう。
 小生も高齢者の無理な道路横断を良く見ますが、<無理な斜め横断>、<信号があっても無視して横断>、<片側車線だけ見て横断>、<平然として横断>等は以ての外です。
 自分だけの事故ではなく、他人様を巻き込む行為はやめて頂きたいと思います。(桜54)

2011年10月26日水曜日

畑の管理(30:祈願成就)

10月26日(水曜日)
 今朝ほどブログに「今日か金曜日に草刈りをやらねばならない」と書いていましたら、腰の調子がマアマア良く天気も良かったので畑に行くことにしました。先日購入を忘れていた混合ガソリンも途中で買ったのです。
 畑の管理者宅に行って早速草刈り機を持ち出し、購入した混合ガソリンを入れエンジン始動!
 まず田の境界である畦の草刈りをし、次第に外側から中へと刈り込みを開始したのですが、何せ広い!でも今日の腰の状態なら「出来るかも知れない」と思っていたのですが、やはり次第に(腰の)状態が悪くなりました。よって2時間余りで<ストップ>しました。
 残りの部分は後日としますが、さて<天候>、<腰の状態>、<空き時間>との絡みで何時になるか分りません。でもコスモス祭りまでには終わらせたいですね。(桜54)

畑の管理(29:間に合わない!)

10月26日(水曜日)
 今朝はかなり冷え込みました。朝の最低気温は11.7度とこの秋一番の気温でした。
 さて10月もあと1週間で終わり11月となりますが、11月上旬には三間コスモス祭りが開催されます。それに合わせ毎年畑の草刈りを実施するのですが、現在は体調管理と天候がうまくかみ合っていないので実施していないのです。
 今日明日は天候も良く絶好の畑管理日なのですが、明日は講義行事がまた29日は交安行事があって時間がありません。天候の方は今週マアマアのようです。
 よって行くとすれば今日か金曜日しかないのです。今朝の体調は良いようなので行くかも知れませんが、さてどうなるのでしょうか?
 畑の広さからしますと2日間必要なので、何とか時間を作って行かねばならないでしょう?後は体調です。さ~て・・・・?(桜54)

2011年10月25日火曜日

家の管理(78:不思議な足跡?)

10月25日(火曜日)
 写真は昨日の朝写したものです。何の変哲もない写真ですが、記憶にない足跡(光っている部分)があったのです・・・・?
 昨日は雨が降っていませんし早朝は露が降りていたのですが、小生はこのベランダに出ていないのです。勿論女房殿も記憶にないそうなのです。すわ!泥棒?
 でも小生宅のベランダの周りはカスミ網の様な網を張り巡らせていますので、夜間に知らない人が動けば必ず網に引っ掛かり大きな音がするのです。しかも隣家には夜間照明(防犯灯)が付いていますので、小生宅ベランダで動いても必ず点くようになっているのです。
 そういったことでこの足跡の付き方は不思議でなりません。
 この足跡は露が降りた後付いたものの様なので、証拠のため写真を撮ったのです。。
 もし考えられるとすれば、その前夜のうち歯磨き時に動いた跡かもしれないのですが、今までこのような状態(現象)になった事がなかったのです。不思議です!?!?(桜54)

健康管理(64:薬の服用)

10月25日(火曜日)
 レーダー画像を見ますと、宇和島付近に小さな雨雲があり児童生徒は傘持参で登校しています。
 さて小生が薬を常用し始めたのは昭和60年頃からで、当初頭痛があり病院に行って診てもらうと<高血圧>と診断されました。その後は常用薬として「飲み続けて下さい」と言われ現在に至っていますが、潮岬時代には朝の散歩を毎朝するようになって運動量が多くなって良かったのか血圧が下がりました。そのため薬の常用をしばらく止めたことがありそれが数年続いたのです。しかしその後は年齢の増加と共に運動量が減り、再び薬に頼る生活となったのです。
 一方腰痛に悩まされています近年は、整体や整骨また整形へと度々通っていたのですがなかなか進展(回復)しません。よって今年からは痛み止めを飲むようになったのです。
 一気に毎日服用しますと<薬に頼る>との思いから、<痛みがきつくなったら飲む>と言うふうに考え、その状態を医師に相談しますと「それで良い」との返事をいただきました。
 意外とその薬は(小生の)腰痛には効くようで、今のところ3~4日に1粒飲むだけで済んでいます。でも治ることがありませんので、死ぬまで服用しなければならないでしょう。(桜54)

2011年10月24日月曜日

家の管理(77:剪定)

10月24日(月曜日)
 写真は2Fベランダから見た剪定後の金木犀です。
  今日は腰の調子も良くまた天気もまずまずでしたので、花も終わった金木犀の剪定を、昨年より約2週間も早く行うことにしました。
 最初にベランダから柵を越えて手の届く範囲で刈り鋏(柄の長さ60cmくらい)で刈り、続いて長い(約3m)柄の付いた鋏(高枝鋏)で一本一本づつ刈り込みました。しかし写真の向こう側は他人様の軒があって刈り込みが出来ませんので、金木犀の下から高枝鋏を用いて刈り込んだのですが、上から木くず等が落ちてきて衣服に付きました。
 でもご覧ください(はっきりしないかも知れませんが)、やや丸くまたかわいく刈り込みが出来ました。来年早々には新芽が出ますので、その時にはきれいな姿に変身するでしょう。(桜54)

日本の苗字(20:コ-タ行)

10月24日(月曜日)
 さて上記行の調査では58の苗字を確認していますが、その半数以上を<小22姓>、<古10姓>、<五8姓>、<後5姓>の4つの漢字が占めています。あとの漢字は全て2姓以下でした(呉、児、忽、弧、虎、湖、悟、午、毎、寿など)。
 今まで調査した中で最も多い読み方の苗字がありました。その読み方は<ゴトウ>と読む苗字なのですが、それに使われています(漢字の)苗字は実に10姓もあったのです。書いてみますと、<午頭>、<五嶋>、<五斗>、<五藤>、<五頭>、<五島>、<五東>、<後藤>、<呉藤>、<悟桐>。また<ゴドウ>と発する苗字にも<悟道>と<後堂>の2つがありましたので、耳で聞きますとどれがどれなのか分りません。しかもまだパソコンの中には多数の<ゴトウ>の苗字がありましたのでなおさらです。
 如何ですか?(桜54)

2011年10月23日日曜日

仕事遍歴(43:水準点)

10月23日(日曜日)
 今日も散歩に出かけ、今回は南の方を回りました。
 国道56号線添いを南に向かい、ほぼ3.5km(往復約7km)を歩きました。その折写真のような<水準点標識>を発見しました。
 このような水準点は、主に国道沿いに約2km間隔で設置してあるとのことです。
 標高の基準となる水準点の原点は、<東京都千代田区永田町国会議事堂前庭>に設置してあり、東京湾平均海面上24.4140mだそうです。
 宇和島測候所時代には、潮の満ち引きを測定する検潮所の水準測量に、和霊神社付近にある水準点から測量の手伝いをした経緯がありました。当時の測量はほとんど手仕事的に測量していましたので、ほぼ半日を要していました。(桜54)

宇和島を知る(58:シャバ?)

10月23日(日曜日)
  この写真はJR宇和島駅構内のものです。写真奥に<日本の終着駅>とする宇和島駅(高い建物)があります。勿論車止めもあり、この先は鉄道線路が敷設されていないのです。
 写真手前には、予讃本線と予土線が延びていて、それぞれ松山・高松へ、高知へと続くのです。
 写真手前には、転車台や洗車場、車庫等の操車場があり、その昔は蒸気機関車が数台並んでいたこともあり<見所>でした。
 この写真を撮った場所は踏切の真ん中なので通常は立ち止まって写真など撮れる場所ではないのですが、たまたま昨日は散歩中でしたので撮ることが出来たのです。
 <シャバ>は、停車場・洗車場に通じて<鉄道>にも関係していますね!(桜54)

宇和島を知る(57:真珠ロード)

10月23日(日曜日)
 昨日午後、市内散策のため散歩に出かけました。
 市内寺町界隈を流れます<辰野川>には、写真のような<桜街道>の標識があり数多くの桜が植わっています。しかしちょっと樹齢が経っていますがね・・・。
 さてその道路脇に下の写真のような看板を見付けました。今まで全く気が付かなかったのです。
 看板の文字には次のような事が書かれていました。《この道路の舗装は、宇和海産の真珠貝殻と天然の石を混ぜ合わせた自然に優しい舗装です。》と。またこの工法は<パールミックス>と言うのだそうで、道路に敷いてある石の間には光線の関係でキラキラと輝いて見える石がその真珠貝殻を砕いたものだそうです。
 生憎昨日は雲も厚くまた道路も湿ってその輝きは見えませんでしたので、天気の良い日に出かけてみなければなりません。きっときれいな輝きのある道路が見えると思います。
 その散歩はその後市内をほぼ半周しましたので、後日目新しい光景も掲載します。(桜54)

2011年10月22日土曜日

補導と指導(52:危ない自転車)

10月22日(土曜日)
 今日は外の競技がある日でしたが、昨日の段階で早々に中止延期となりました。
 さて昨日ラジオ放送で、四国でも2件目の<ピスト自転車>の摘発がなされたそうです。
 今月当初愛媛県松山市で、前後輪にブレーキの無い自転車に乗った男性が警察に捕まったそうです。また昨日は徳島県でその自転車に乗った大学生が捕まった、との放送がありました。
 自転車で公道を走る場合、前後輪には必ずブレーキを付けるという義務が課せられていますが、近年大都会を中心に自転車のブレーキを自ら外して乗る若者が増えているそうで、警察でも取り締まりを強めているそうです。捕まる人間はほんの一かけらなので実態は定かではありません。
 現在の世の中、公道を走る車にはブレーキを付けないと危なくて走れないのです。それをわざわざ外してまで乗るとは不届き者です。自分だけ怪我をするのはまだしも、他人様を巻き込むのはよしてください。まずは決まりを守ることが大切です。(桜54)

仕事遍歴(42:雷害)

10月22日(土曜日)
 昨日午前中から降り出した雨は、午後からは雷を伴って一時強く降りました。また時には風が強く吹きました。さらに、市内の中小河川ではかなり増水したとの連絡も受けました。
 さてその雷を伴った被害をあちこちで経験しました。
 <雷害(ライガイ)>をまず経験しましたのは初めて仕事についた室戸岬で、付近落雷(誘導雷)によって電鍵(当時モールス信号を打つ器具)から火花が出て、飛び退いた事がありました。まあ事故にはなりませんでしたが・・・。かなりびっくりしました。
 松山では、同じ付近誘導雷によって小生宅などのテレビが壊れました。
 潮岬では、やはり誘導雷によって高層課の受信器具から火花が出て、その部屋一帯が黄色に見えたことがありました。小生たち職員の被害はなかったのですが、受信器具(電子機器)がやられ1ヶ月近く測定不能の状態に陥ったことがありました。
 別口では、東京に居た頃友人が登山中雷に撃たれ、大やけどを負ったこともありました。
 古来から、<地震・雷・火事・おやじ>と言われて恐れられた事象なのです(今では<おやじ>の言葉を削っているようです??>)。
 雷を防ぐには、器具(避雷針等)を用いたりまた避難方法を変えたりと様々な方法が言われていますので、もし皆さんが家の内・外・車内などで雷に遭われましたら、それぞれの対策を講じて下さい。(桜54)

2011年10月21日金曜日

桜つれづれ日記(86:雨の日なので)

10月21日(金曜日)
 午前中、明日予定されていましたグランドゴルフは<中止>と連絡があり、関係者に連絡を入れました。
 さて小生も、今日はいろいろと予定を組んでいましたが、午後から本降りの雨となりましたので外出は<駄目>となりました。そういったことでほとんどパソコンの前に座ったりまた車庫に入って雑用(孫の依頼の作業)をするつもりです。
 この雨は深い気圧の谷が太平洋側を中心に通過している関係で、九州から四国南部にかけて降っています。宮崎県の一部では1時間に70mm余りの豪雨が降ったとのことですが、これからこの強雨域が、次第に四国・近畿・東海へと東に進む予想です。
 もし雨が夕方まで降らなければ畑の草刈りもしたかったし、また交安協の作業(表彰者の申請作業等)も進めたかったし、更に家の管理(猫対策や庭の手入等)もしたかったのです。
 腰痛の関係で(作業等が)出来ないことが多いので、少しでも良いと動かざるを得ないのですが・・・。(桜54)

宇和島を知る(56:山際の記憶=バス停)

10月21日(金曜日)
 小生が現在の地に移動(転居)したのは昭和32~3年頃でした。
 当時は小生宅が市内バスの終点(停留所)でしたので、道路脇にバス(今の中型バスくらい)が停まっていたのです。当時商家(今のコンビニ的な店)をしていましたので、運転手や車掌が家の中で休憩を良くしていました。時には店の中で弁当を食ったり商品を買って食事をしていた記憶があります。
 その昔(終戦後)木炭自動車の時代には、家の脇にはうず高く薪が積んであった記憶もあります。
 一方市外バス便(宿毛行き)は、小生宅前には宿毛街道(のちに準国道に昇格)が通っていましたので、乗車の方がある時には白い旗を建てバス便に知らせていました。新国道(現R56)が数年後田の中に出来た後は、市外バスのルートが変わりました。
 当時の道(宿毛街道や新国道)は今のような舗装道路ではありませんので、バスやトラックが通りますとかなりの土埃をまき散らしていましたので、戸の無い家には埃がかなり舞い込んでいたようです。
 もちろん小生宅の店も以前は全く戸(ガラス戸)がありませんでしたので、強風や大雨(特に台風)の時には家の中まで入り込んで、商品等は雨や風にさらされていました。まあそのような時には直ぐ<板戸>を閉めましたがね・・・。ということは店を閉鎖したに等しいのです。懐かしい記憶ですね!(桜54)

2011年10月20日木曜日

補導と指導(51:補導研修)

10月20日(木曜日)
 今日は月1回の<交通安全の日>でしたので、当支部理事での<立哨指導>、市内支部における<交通茶屋>を実施しました。
 一方午後からは、少年補導の秋季研修会がありましたので出席しました。
 警察署生活安全課長が来られ、1時間余りの講演(防犯意識の高揚)がありました。
 近年では手の込んだ防犯が多くなっているそうで、特に家屋侵入については簡単な器具を使っての侵入窃盗やひったくり事件が多いそうです。家屋侵入については、外から見えない場所の窃盗や人通りのない場所での窃盗が多くあるそうなので、その対策方法を学びました。
 そういった対策には、防犯器具の設置や地域住民の防犯意識の高揚が大切とのことで、最も適しているのが<声掛け>という運動だそうです。声掛けは金も掛けなくて済むので良い防犯行動とのことです。
 また少年補導の面でも、ちょっとした声掛けが大きな犯罪を防ぐ一つの関門だそうです。
 昨年来、当宇和島での少年犯罪が少し減ったと報告がありました。(桜54)

家の管理(76:再び猫害が・・・)

10月20日(木曜日)
 今朝何時ものように家の周りを見て回りました。
 歯磨きの折、屋根の一部にかすかな猫の足跡があったのです。どうもその先には小生宅のベランダがあり進入した形跡が残っていたのです。また裏庭の土が少し盛り上がり周囲の枯葉が寄せ集まっていましたので、ここで用を足した可能性があります。
 そうした痕跡から判断しますと、露が降りた後(今朝5~6時頃)に通った可能性があります。とその時、向かいの家に問題の猫を発見しました。近所をウロウロしているようです。
 その猫害対策をいろいろしているのですが、なかなか止まりません。進入路にカスミ網を張ってはみたものの、網の隙間か破れからかまた他の個所から侵入して来る様です。
 猫はあちこちで臭い糞尿をしますので、その点では嫌われ者なのです。自分の家で用を足せば良いのですが、他人様の家周辺でその用を足されたのではたまったものではありません。対策をいろいろ考えているのですが<いたちごっこ>ですネ。(桜54)

2011年10月19日水曜日

桜つれづれ日記(85:解決と挑戦)

10月19日(水曜日)
 今日は孫も来ない作業もない1日でしたが、ちょっと気掛かりな事があって行政に顔を出しました。先日あるお方から、<問題解決>との知らせを受け小生なりにモヤモヤしながら作業を続けていたのですが、今日はその詳細を聞くため赴いたのです。案の定あるお方の言葉通りでしたので、頭の中のモヤモヤが吹っ飛びました。よって今後は新たな挑戦として進めるつもりです。
 午後散歩に出かけ、市役所から高速道路の下を通って川を遡り国道に出ました。その折ひょっと(別の)ある解決策を見つけるため警察に赴いたのですが、先客が居ました。よって今日のところは<解決>にはならなかったのです。
 今月から来月早々にかけてはいろいろの行事が重なっていますので、ちょっとしたきっかけで解決できるものもあれば、持ち越しになるものもあるのです。解決出来れば新たな挑戦として前進できますが、持ち越しとなると<一旦停止>です。仕方ありません!(桜54)

仕事遍歴(41:まさしく秋)

10月19日(水曜日)
 写真は今朝7時前に写したものです。
 天気予報では<晴時々曇>、<雨の確率10%>となっていて、今日も秋晴れが続くと予想されています。
 その予想を裏付けるように、爽やかな秋の雲が出ていました。このブログを書いている時には早くもこの雲が消散し、きれいな青空と化しました。
 さてこのようなきれいな筋雲はどのような状態の時に出来るのでしょうか?
 この雲は<絹雲(ケンウン)>と言って、上空8,000~10,000mの辺りに出来る雲なのです。
 上空では、空気中の湿度が比較的少なくまた風の強い時に出来るようです。よって上空を見上げますと雲の動いている状態が見えるのです。
 この条件が比較的秋季に多いので、秋の雲の代表とも言われます。もう少し風が強まりますと、まるで箒(ホウキ)で砂地を掃いた状態に似て来るのです。
 雲を見て<季節を感じる>というのは、まさにこのようなことを言うのでしょうか?(桜54)

2011年10月18日火曜日

防災を考える(46:防災講座と訓練)

10月18日(火曜日)
 校区自治会長が先ほど小生宅に来られ、<防災士養成講座に参加しないか?>と言われました。しかしその講座は日中3日間連続して開催されますので、長時間座らなければならないのです。でも今の小生の体調であれば<無理>かも知れませんね。
 内容的には、地震・津波や避難所開設などほとんど経験や体験した事項があるのですが、何せ<3日間>、<座りづめ>という日程が小生の身体や頭を動かさないのです。また小生宅には介護者を抱えていますのでなおさらです・・・。
 一方校区自治会長へは、年末の総会時前に<参集訓練をしたら>と要望しました。関係者が、要した時間(自宅を出る時刻と会場に到着した時刻)、参集方法(徒歩・自転車等)、参集ルート(地図上に落とす)などを記録し、後日町内別・年齢別などの集計をすればおおよその枠が判るのです。また先日敬老会時に集めた資料(町内別参集ルート等)も、避難場所設定や避難誘導に有効な資料となるものと期待しています。
 つい先ほど新しい資料を入手しました。市の避難訓練の日程です。
 来年3月11日と東北大震災発生時に合わせた日時で実施されるそうです。小生地区では避難場所の是非についての議論もありますので、こういった事業(訓練)の折見直すきっかけが出来ると思います。(桜54)

仕事遍歴(40:久しぶりの職場)

10月18日(火曜日)
 写真は<松山地方気象台>正面玄関の建物です。
 建築は昭和初期(3~4年頃)築で、現在の県庁を建てるために試験的に建てられたものだそうです。1~2階は吹き抜け、3階に出っ張りのバルコニー、4階には昭和40年頃までは大きな時計がはめ込まれていました。また4階まで突き抜けた観測(風向計)用の穴等昔をしのばせる建築様式(非対照型建築)などがまだまだ残っていました。また建築者の名前を刻んだ石板が1~2階へ通じる階段中途壁に張り付けてあるのです。
 小生は最初の勤務(昭和62~63年:技術課)が写真右(黒い)屋根下の部屋で、2回目の勤務(平成元~4年:防災業務課)は写真左2F奥の部屋で、3回目の勤務(平成13~15年:防災業務課)は写真左1Fの部屋でそれぞれ勤務しました。
 昨日用事でこの気象台を訪れた際、台長の案内で各部屋を回りましたがほとんど変わりはありませんでした。また昔懐かしい面々(同僚や部下)もいました。
 ただ周辺の住宅地には高層マンションが数棟建ち並びましたので、かなり観測環境が変わっているようです。近日中に再度訪れなければならないでしょう。(桜54)

2011年10月17日月曜日

学習してみよう(25:新たな挑戦)

10月17日(月曜日)
 今年度最初の<ときめきサイエンス>の授業を行いました。
 一昨年までは国の事業として<理科支援授業>があったのですが、事業仕分けのふるいに落とされ昨年度は無くなってしまったのです。
 ところが愛媛県では理科教育の復活を望み、今年度から新たに県独自で同じ様な授業を再開することになったのです。小生もその方針に賛同し快く講師役を引き受けました。
 今年度は県内から2校の要請があり、そのうちの1校から本日の授業となったのです。
 大洲市内の小学校からの要請で、「気象のお話」と題する話を2時間授業として行いました。5年生116名を前に<空気の話>から始め、高気圧や低気圧また台風の話を。さらに大洲地域の気象、特異な気象現象の体験など幅広く話をしましたが、熱心に聞いて質問の多かった児童、手遊びなどして先生に注意される児童など様々でした。
 小生の経験から、小学4~6年生ごろの授業によって<将来の職業>の目処を立てる児童がいますので、少しでもお役に立てたらと思っています。(桜54)

ゴミ回収(24:最初が肝心!)

10月17日(月曜日)
 今日は小生地区の<資源ごみ回収日>です。
 現自治会長はこの資源ごみ回収日には目印の<旗>を出さないと言い張っています。今朝も恐る恐るゴミを出される方がありました。小生もその一人です(最初に出すのには勇気が要ります)。
 小生が資源ゴミを持参した時にはほとんど出ていませんでしたが、小生と同時に持参した人や帰り際に持ってきた人などぼつぼつありました。
 そうした中でちょっと見ますと<置き方>が乱雑になっていましたので、ちょっと修正をして置き易く積み直しました。1m近く積みますと崩れる心配がありますので、土台部分だけはしっかりと積むよう以前は指導していましたが今はありませんので、小生が持参した際土台部分を作っておくのです。
 前自治会長(小生の同級生)もそれに合わせて積むようになりました。
 乱雑に置きますと場所も取りますし崩れ易くなるのです。気持ちの良いゴミ(?)にしたいですね。(桜54)

2011年10月16日日曜日

家の管理(75:庭の異変?)

10月16日(日曜日)
 小生宅の庭の片隅に植えています<山茶花(サザンカ)>にようやく花が咲きました。と言っても昨年より早いくらいです。
 今年早々本体の木が折れあきらめていたのですが、その脇の小さな枝にひっそりとつぼみを付けていたのです。そのつぼみの一つが葉の陰から真っ白の花を咲かせているのが見えました。その枝には未だ10個ほどのつぼみがありますので、1カ月の間に咲きそうです。でも、その木が大きくなるには数年かかるでしょう。
 その山茶花の側に下の写真のようなキノコが生えていたのですが、そのキノコの種類や名前が分りませんので手で触ったりしない方が良いでしょう。
 孫に「図鑑でキノコの名前など調べて」と言っておきましたので、近いうちに判明するでしょう。
 それにしてもキノコの菌は何処から来たのでしょうか?
 このキノコの高さは10cm位、笠の直径が6~7cmもあるのです。色は茶系ですので見た目は悪くなさそうですが・・・。
 一方裏庭の金木犀は、再び花芽を増大させ庭には橙色のジュータンを敷き詰めています。
 庭の木々に少しばかりの異変があるのは<地球温暖化>の一部なのでしょうか?(桜54)

宇和島を知る(55:表裏一体)

10月16日(日曜日)

 写真は松山道後温泉本館の写真ですが、上の写真は昨年写したもの、下の写真は今年写したものです。どのような状態かお分かりですか?

 通常道後温泉は表(オモテ)から写したものが用いられ皆さん良く御存じなのですが、裏に回って写真を撮りますと趣が異なってきます。また何か寂しそうな顔も見えます。
 表は<顔>であって華やかさがあり活気がみなぎっていて、通行する方もその見た目を目に焼き付け頭の中に記憶していると思います。それとは別に、裏側に回って写真を撮ったり通行してわざわざ頭の中に記憶する人はほとんどないでしょう。

 そうした表裏の姿をこのように示しますと、何か親密感が湧いてきませんか?
 人間でもまた物体でも表裏はあるのです。表裏一体となってこそ、そのもの(本質)ではないでしょうか?
 このように観光物でも、人間性でも、また自分の考えでも<表から>また<裏から>といった見方をする方が良く分かるのではないでしょうか?

 小生たちが宇和島の良さを観光に生かそうと活動をしていますが、裏から見た<宇和島の良さ>も表裏一体として宣伝すべきだと思います。(桜54)

2011年10月15日土曜日

桜つれづれ日記(84:気象OB会)

10月15日(土曜日)
 今日は愛媛県気象OB会が松山で開かれましたので宇和島から出席しました。
 県内の気象官署に勤められた方、またそれに関係する方など総勢21名の方が集まり、道後のホテルにて開催されたのです。
 遠くは広島県や香川県から参集され、しばしの観談をしました。現役を退いてからもう20年になられる方、また現役の台長など多くの方の参集で尽きない話をしました。
 当時の職場ではほとんどが男性で女性は1~2名しかいませんでしたので、今日の集まりにも紅一点でした(写真は小生と幹事が欠落しています)。
 今年は第28回とのことでしたので、40回くらいまでは出席したいですね。(桜54)

家の管理(74:水道蛇口)

10月15日(土曜日)
 昨日は雨の中氏神様の秋祭りが挙行されましたが、子供たちも大人も全身びっしょりで各町内を回っていました。
 さて小生宅はもう築40年くらいになっていますが、外壁は5~10年置きに塗装し、内部は何回か改修しました。その時ほとんどのものは交換したり修理したのですが、2Fの増築した部屋の一部は建築当時のままだったものがありました。それは水道蛇口なのです。
 増築して35年くらいたっていますが、増築の際水道管の敷設を埋設することが出来ませんでしたので外壁に取り付けました。まだその水道管は現役で生きているのですが、毎日使う水道蛇口がこのところ止まりにくくなっていたのです。何回か中のコマを替えたのですが、一昼夜にコップ一杯の水が溜るようになったのです。
 昨日その蛇口交換を行い、ようやく夜の「ポットン、ポットン」という水滴の音が聞こえなくなりました。よってぐっすりと眠ることが出来たのです。
 人間も、建物も、またいろいろなものも長年経ちますとどこかガタが来ます。よって修理などしなくてはなりませんネ。(桜54)

2011年10月14日金曜日

桜つれづれ日記(83:蜜柑の季節)

10月14日(金曜日)
 今日は地元氏神様(三島神社)の秋祭りですが、生憎午後から降り出した雨がやや強くなって子供みこしが途中で中止となりました。
 さて写真の様な蜜柑がそろそろ巷に出回り始めました。今まではハウスミカンなど早生でしたが、普通温州みかんの出番となってきたのです。
 小生宅がその昔八百屋だった頃は、この秋祭り頃に黄色く色付いた蜜柑が店頭を賑わしていたのですが、近年は季節のずれが少しあるようです。
 でも愛媛の蜜柑は味も良く、関西では多くの愛好者がいます。こういった蜜柑を小生宅ではキャリー(約18~20kg)ごと購入します。子供たちが来て食べ、孫たちが来て食べ、また小生たちは日に何個も口にするのです。そういった蜜柑はビタミンが豊富なので風邪の予防にも役立っているのです。
 写真の蜜柑は未だ青みが残っていますが、あと10日ほどすれば真黄色に熟した蜜柑がお目見えすることでしょう。(桜54)

宇和島を知る(54:本番に向けて)

10月14日(金曜日)
 この写真はどのような状態かお分かりですか?
 これは、赤いべべ(衣服)を着た牛鬼の同体で、左端に白い二本のものが見えますがそれが頭部(黒い部分)上部の角で、頭を胴体(赤い部分)に取り付けているところです。
 小生たち地元の昔青年(?)が牛鬼の完成に向け、集会所で愛護会の人に指導をしているところなのです。
 今日(14日)が地元氏神様(三島神社)の秋祭り本番なので、子供みこしと子供牛鬼を昨夜のうちに8部方作り上げ、今朝の段階で完成させ外で待機させるのです。
 今朝のレーダー画像を見ますと、九州や四国の南部(太平洋側)を中心に各所で雨が降っていますので、午後には当地でも雨の降りだす可能性があります。しかし先ほど孫たち児童生徒は、これらの山車を担ぐため元気に登校しました。さて本番の天気は如何に?(桜54)

2011年10月13日木曜日

宇和島を知る(53:いよいよ祭りだ!)

10月13日(木曜日)
 いよいよ明日から三島神社の祭りを皮切りに、宇和島市内各所で秋の祭りが始まります。小生地区の祭りは明日の<三島神社秋祭り>なのですが、例年小生地区から出していました山車(お槍振り)は都合により中止となりました。
 毎年小生地区から出る山車を心待ちにしていただく方々が居られるのですが、近年は踊り手不足や教える方の健康などいろいろの都合があって危ぶまれていたのです。
 しかし小生地区からはこの他、子供みこし子供牛鬼が出ますので、今夕みこしと牛鬼の一部組み立てが行われます。
 小生が町内(愛護会:旧子供会)の役員だった頃は、主だった人が出ていろいろのお世話をしていたのですが、近年は次第に他人任せになっていて山車の組み立てさえ出来ない状態となっているのです。
 よって今夕の組み立てには、小生たち古株など地元に長年住んでいる人に声掛けを行ってようやく事が運ぶようです。しかし明日の天気予報は<曇時々雨>とのことなので、果たして元気よく山車が出せるのでしょうか?(桜54)

健康管理(63:疲れか?)

10月13日(木曜日)
 昨日夕食事、ふとした弾みに舌を噛みました。
 <舌>を噛む行為は<疲れ>から来るものと言われていますが、小生はそれに値するほど疲れていないと思うのですが・・・。また舌に<豆>が出来るのも疲れから来るものと言われています。知らず知らずのうちに疲れが溜っているのでしょうか?
 そうした<疲れ>の異変がどこかに出るというのは、身体から出る<信号>かも知れません。自分自身何も感じないようでも、肉体が内臓的や神経的に疲れているのでしょう。
 小生は今週末から月末までいろいろと予定(懇親会・講義・会議・協力等)が3日に1回は組んであるのです。しかも市内だけではなく、松山や大洲まで出かけなければならないのです。またその間には、畑の草刈りなどもしておかねばならないのです。
 そうした作業等の後は、60歳を過ぎた身体にはしばしの休養が必要かもしれませんネ。(桜54)

2011年10月12日水曜日

防災を考える(45:急傾斜地)

10月12日(水曜日)
 写真は愛媛県が設置しています<急傾斜地崩壊危険区域>の標識です。
 斜度◎◎度(*)以上の傾斜地が住宅地から△△m(*)以内にある場合には、この標識が設置されるようです(*は小生は把握していません)。
 宇和島市内にはこのような標識が至る所に見られます。ということは、平地が少なく急傾斜の近くに家が建っていることを表しています。また、宇和島地域はその昔から<耕して天に至る>とも言われた段々畑があちこちにあり、山腹の森林が少ないのです。そういった箇所(麓)には必ずこの標識が立っているのです。勿論我が町内のあちこちにも立っているのです。
 そのような現状から、近い将来起こるであろう南海地震や先般発生しました大雨災害など、土地崩壊の危険性を含んだ場所に設置された標識を十分に理解することが大切だと思います。(桜54)

補導と指導(50:自転車の乗り方)

10月12日(水曜日)
 このところ夕方の日の暮れるのが早くなった感じです。<秋の夕暮れ つるべ落とし>と言われたものです。また、学生の服が黒系の冬服に変わりました。
 そういったことで、夕方通行する自転車への注意力を増さねばなりません。学生は黒系の服に加え、比較的平気で無灯火で走るのです。しかも右側通行する自転車の数が多いのにびっくりしています。
 昨夕も義母に夕食を持参した時、上記のような自転車を数台見つけそれぞれに注意しましたが、ほとんど効き目はありませんでした。
 今朝の新聞によりますと、愛媛県内でも公道を<ブレーキなしの自転車走行>で交通切符を切られたそうです(交通法規上は違法)。東京や大阪ではかなりの数に上っているようで、危険極まりない行為です(勿論相手に迷惑をかけます)。
 そういった<自転車の乗り方>が徐々に変わってきています。<人は右 車は左>といった教えはもう昔の話で、親からも、学校でも、警察の指導も、また諸先輩からも・・・そういった<教え>等はないようです。
 諸事から、自転車絡みの交通事故も徐々に増えていますので、自動車も、歩行者も、また同走する自転車も気を付けなければなりません。(桜54)

2011年10月11日火曜日

畑の管理(28:芋の簡易むろ)

10月11日(火曜日)
 今日は女房殿を連れて午後から畑に行きました。
 今年は畑に芋しか植えていませんので、昨年の様に猪の被害が出ないうちに掘りに行ったのです。
 皆さんにお見せするような立派な芋ではありませんので、早速囲い(簡易むろ)を作って暗室に仕舞い込みました。
 この簡易むろは、写真のように段ボール箱(バナナの箱)に新聞紙で囲いを作り、その中にもみ殻を敷き詰め、芋ともみ殻を交互に入れたものなのです。もみ殻は断熱効果がありまた通気性もありますので、根菜類の長期保存に適しているのです。また暗室は一定の温度を保つ効果もあるのです。
 例年このような段ボールでの簡易むろを数個作るのですが、今年はちょっと小ぶりなのと雑草に負けましたので量的には少ないようです。でも後一箱は出来そうなので、猪にやられる(掘られる)前に掘るつもりですが・・・。(桜54)

日本の苗字(19:コ-サ行)

10月11日(火曜日)
 上記行では79の苗字を確認していますが、そのほぼ半数に当たる漢字は<小>という字で38姓ありました。次には<越>という漢字で17姓、以下は10姓以下で、<古9姓>、<五>、<腰>、<輿>、<児>・・・等と続きます。
 <コシノ>と発する苗字には、<越野>、<腰野>、<小篠>の3姓がありました。また<コシマ、コジマ>と発する苗字には、<古嶋>、<越間>、<児嶋>、<児島>、<小嶋>、<小島>、<小嶌>があり、<ゴシマ>と発する苗字には<五島>と<伍嶋>がありました。
 一方<コセキ・コゼキ>と発する苗字には、<古関>、<古石>、<古積>、<小関(コセキ・コゼキ)>がありましたので、何れも耳で聞いた場合には間違いを犯すようです。
 人の苗字には気を付けて間違わないようにしましょう。(桜54)

2011年10月10日月曜日

防災を考える(44:次年度の調査)

10月10日(月曜日)
 今日は雲の出入りの多い日ですが、比較的しのぎ易い1日となりました。
 今年3月11日に発生しました<東北太平洋沖地震>により、各地で津波対策等が取られています。小生地区では2年前からこの取組みを行っていて、次年度は3年目となります。
 まだ明倫校区の三分の一程度しか<津波高標示板>の設置を行っていませんので、次年度は海岸地区を中心に実施しようかと頭の中で考えています。また初年度設置しました標示板の更新もありますので、次年度は更に忙しくなりそうです。
 年末にかけ地図上で調査をし、年明け早々には現地(電柱の名板・住所等)の調査、年度末には自治会への説明申請と承認、年度当初には電柱業者への申請、業者等の交渉、印刷会社への依頼、行政への申請等が相次いでありますので、年内には詳細な予定を組んでおかねばなりません。
 次年度は自治会の役員さんの交替も考えられますので、役員さんたちへの説明も年度初めには行わねばならないでしょう。
 そうした一連の流れをそろそろ組み立てようと思います。忙しくなりまっせ!(桜54)

健康管理(62:くい止め)

10月10日(月曜日)
 今日は体育の日です。各地でいろいろな催し物があるかも知れませんよ!
 さて先月末から孫の一人が風邪を引き、小生が度々病院に連れて行っていたのですが、どうやら治まりつつあるようです。
 その孫がほぼ毎日来ていましたので、母上殿や小生達夫婦にうつる(風邪にかかる)のではないかと心配していましたが、どうやら今のところその症状はありません。一時女房殿が<鼻水が出る>と言って以前の薬を飲んでいましたが、今のところ治ったとのことです。
 小生は毎朝、海洋深層水のエキスを5~6滴入れて<うがい薬>を作りうがいをしていますので、風邪の兆候は全くありませんでした。
 一方母上殿も、外出した折(病院・デーサービス等)や毎食後3回のうがいをしていますので、全く風邪の症状はありません。
 だから小生宅では、風邪の<くい止め作戦>が功を奏しているようです。(桜54)

2011年10月9日日曜日

ゴミ回収(23:河川掃除)

10月9日(日曜日)
 午前中少し周辺を散歩しました。
 小生宅から西におよそ1km先にあります三島神社周辺では、周辺自治会が河川掃除を実施していました。今週末には三島神社の秋祭りがあるからです(写真左の森が三島神社です)。
 河川周辺には1m前後に伸びた雑草が生い茂り草刈り機や鎌を持っての作業のようでしたが、かなりの面積と傾斜面などであまりはかどっていない様子でした。でも土手の草は写真のようにすっかりきれいになっていました。
 他の自治会でも、別の河川周辺の除去作業をやっていました。
 宇和島市ではこの10月に4~5つほど秋祭りが予定されていますし、また来月早々には盛り沢山のイベントが計画されています。
 小生の畑の周辺でも<コスモス祭り>がありますので、中旬~下旬にかけ畑の草刈りを実施しなければなりません。大変ですよ!(桜54)

宇和島を知る(52:遠望)

10月9日(日曜日)
 昨日午後、市役所において<旅>関係の会議があり出席しました。
 宇和島市の<山>、<里>、<海>をテーマとした旅をプランしましたが、小生たちグループは<海>をテーマとする旅プランを作り昨日その詳細を詰めた会議だったのです。
 <海>には<段々畑>や<海上遊覧>、<釣り体験>など見せ場(見る・体験)が多いのですが、また一方で食の方でも海の幸が豊富なのです。皆様にはきっと満足していただけると思います。

 そうした話を延々2時間余り行いました。ふと外を見ますと小生たちはめったに目にしない光景が目に飛び込んできました。写真中央山の中腹に白い物が2つ見えますが、右は地元の短期大学の寮、左側は市営闘牛場です。その闘牛場の左側辺りが<桜標本木>になるでしょうか?
 あと半年後にはピンク色に彩られた山(丸山公園)に変身するのです。見る場所が変われば違った景色になるのですね!(桜54)

2011年10月8日土曜日

家の管理(73:土の再処理)

10月8日(土曜日)
 我が家では土の再生処理をやっています。
 女房殿がいろいろな草を鉢で栽培(?)していますので、どうしても時期が過ぎますと廃土が出るのです。その廃土を天日に干し乾いた土をふるいにかけ、軽石を除け、草の根を除け、使えるような土に再処理を行うのです。その処理は全て小生が行いますが、土は一日では乾きませんので、上の方から少しずつその処理を行います。
 写真は2日目のもので、山盛りとなった土がほぼ半分となりました。写真中央の土の上に丸い物が見えますがそれが<ふるい>なのです。
 明日も晴天の予想なので、ほぼ土は乾くと思います。リサイクルも良いものですよ!(桜54)

宇和島を知る(51:宇和島港)

10月8日(土曜日)
 昨日は上空に薄い雲はありましたが、晴れ渡って心地よい日でした(写真参照)。
 日中誰もいませんでしたので久しぶりに散歩に出かけました。当初は「いつも歩く近くのルートを」と思っていたのですが、知らず知らずのうちに遠くを目標にしたのです。
 JR宇和島駅まで行き、きさいや広場、宇和島港を通り高速道路の下を通って帰宅しました。その折写真のような光景を目にしましたので(携帯付属の)カメラでパチリ。
 写真の船は<日振島行き>の高速艇、中央薄い緑色の山が宇和島湾頭にある<九島>です。その手前の濃い緑色は戎山という宇和島港を囲む山なのです。
 こういった景色(西向き)の形状は、両手の中に球を抱くようになっていますので、九島(球)の北側と南側から港内に進入出来るようになっています。九島の影響で風除けとなったり、港内の水深が比較的深いので1万トン級の船も入港出来るそうです。
 地形図や上空から見ますと良く分りますヨ!
 このような天然の良港は全国的に少ないので、全国に発信したいですね。(桜54)

2011年10月7日金曜日

家の管理(72:橙色の絨毯)

10月7日(金曜日)
  つい先日金木犀(キンモクセイ)が咲き臭いのきつい香りを振り撒いていましたが、裏庭にはご覧のような橙色の絨毯が見え始めました。
 小生宅の台所や母上殿の部屋にも一輪刺しで飾っていましたが、この方も花瓶の周りに少しずつ落ち始めましたので昨夜排除しました。
 今年は夏季の多雨によって秋の味覚に変化が出そうです。
 先日畑の管理者から栗を頂いたのですが、栗は少々不作傾向だそうで、スーパーなど店頭で並ぶ栗の値段が高くなっているそうです。また柿や蜜柑等にも影響が出て来るかも知れません。
 確実にやって来ます<秋>は気象にも現れているようで、朝夕の冷え込みや日中の気温など、湿度の影響もあってかなり爽やかになりそうです。(桜54)

2011年10月6日木曜日

桜開花観測(59:花芽)

10月6日(木曜日)
  写真は今日午前中に写したものです。
 昨年同期と比べてみますと<ちょっとだけ横張りがあるかな?>と見えますが、多分寸法的には変化はないでしょう。
 年度当初、桜観測日記のブログは<書き込み禁止(?)>と聞いた関係で6月以降書き込もはしなかったのですが、桜標本木は度々見には行っていました。
 そういったことで別の方に(書き込み禁止の)真意を聞いていただきました。そうしますと、別に<書き込み禁止ではありません>とのお答えを頂きましたので、早速そのブログ書き込みを開始しました。
 これから冬季に入り花芽もあまり動かない時期となりますが、変化等があればどしどし書くつもりです。
 ところで、先日の台風襲来時に桜等の木の葉が落とされた関係で、各地で<不時開花(時期外れに桜の花が咲く)>現象が見られます。皆さんもお近くの桜が数輪開花しているかも知れませんので、じっくり観察してください。(桜54)

仕事遍歴(39:報道取材)

10月6日(木曜日)
 小生が初めて報道の取材を受けたのは松山時代(昭和50年代半ば)でした。
 当時の取材はラジオ放送でしたのでそれほど緊張した様子はなかったと思うのですが、ただ取材場所が自動車の中だったことを覚えています。自動車の後ろの座席に座って、前の座席からマイクを向けられ気象や外の様子をしゃべったのです。
 当時は松山地方気象台の予報官でしたので、地方のことしか分からず(地域限定の)喋りしか出来なかったようです。
 数年後潮岬に転勤した後から次第にテレビ取材を受けるようになりました。
 一番多かったのは大阪から高知に転勤した直後からで、(6月下旬に高知県に台風が上陸したので)台風の接近と共にテレビ出演が多くなり、1時間毎にテレビ局3社とラジオ局1社を相手に解説等を行いました。夜の番組でしたのでほとんど寝る暇もないくらいでかなり疲れました。しかも「1分以内にしゃべってください」とか、「あと10秒しかありません」などとボードに示された時にはかなり緊張しました。
 でもそういった経験で、今では比較的緊張なくしゃべれるようになりました。(桜54)

2011年10月5日水曜日

学習してみよう(24:あと2~3週間後)

10月5日(水曜日)
 愛媛県主催の<ときめきサイエンス>の授業が目前に迫ってきました。
 昨年度は政府の事業仕分けでフルイに落とされ、小中学生相手の理科支援授業が無くなりましたが、今年度は新たに愛媛県独自で<ときめきサイエンス>と銘打った授業が再開され小生もそれに加わりました。
 ここ数年腰痛に悩まされていますが、小生が職業柄体験した事項を<児童生徒のために少しでもお役に立てたら>と思って引き受けたのです。
 今年度は大洲市と宇和島市の小学校から要請があり、どちらも「気象について」のお話をすることになりました。それぞれには地域の特性を付加したお話もする予定です。また宇和島市の小学校では、小生が桜関係の仕事もしていますのでそのお話もする予定です。
 先生方とはメール等で粗方話を進めていますので、小生の頭の中も最終的に整理しなくてはなりません。間もなく発進の信号を出す予定です。(桜54)

健康管理(61:一人で登校)

10月5日(水曜日)
 今日は小生の腰痛の定期検査なので、これから朝食を食って直ぐ出かけます。
 さて昨日、孫の一人が風邪のため医院に連れて行った時、<しばらく休養>との診断を受けましたので、今朝は弟一人が窓の下を通って登校しました。
 数年前まではまだ幼かった弟ですが、最近徐々に幼児から小人(児童)への行動や言動がみられます。ずいぶんしっかりするようになりましたネ。
 周辺町内の学童登校は<集団登校>となっていますが、先ほど登校した孫は小生宅より先が集合場所、一方隣りの孫は近くの場所で集団となって登校します。町内が違っていますので登下校ルートが違っているようです。そのため、それぞれの集団が学校近くで合流するようになっているそうです。
 最近各所で風邪が流行っているとのことなので、健康に留意しながら集団登校を行ってください。(桜54)

2011年10月4日火曜日

ゴミ回収(22:定期便)

10月4日(火曜日)
 毎月初めには、病院と信用金庫に定期便を届けています。と言っても大したものではなく、ゴミ(?)から回収した<プルタブ>と<ペットボトルのキャップ>です。
 小生宅にはご近所の方から空き缶等を時々持って来られたり、小生の妹が松山から持参したりと意外と数多く集まるのです。その妹宅には仲間から数個ずつですが集まってきますので、3ケ月もすればゴミ袋一杯のキャップや買い物袋一杯のプルタブが集まるようです。
 小生もご近所の方に声掛けをしていますので、少しずつですが集まるのです。
 集まったプルタブは100個ずつの束にして月2000個を目処に、またキャップは買い物袋一杯(600~700個)にしてそれぞれ上記の場所に持参するのです。
 定期便なので、職員さんは小生の顔を見ると「何時も有難うございます」と言われますが、協力者がいる限り続けたいと思います。捨てれば<ただのゴミ>、分別すれば<資源ゴミ>となります。つい先日、届けた所から礼状が届きました。(桜54)

健康管理(60:孫再び)

10月4日(火曜日)
 今朝早く電話が鳴りました。
 小生の子供から、「子供(小生の孫)がどうも風邪をひいたようなので、病院お願い!」といったものなのです。
 早速このブログを書いた後、医院の門をたたいて番取りをしなければならないのです。未だ風邪の症状は軽いようなのですが、あちこち広がりつつあるようなので気を付けなければならないのです。小生の母上殿もの「寒い寒い」と言っていますし、別の子供も「のどが痛い」と言っています。
 小生も女房殿もまだそのような症状はありませんが、外から持ち込まれる風邪の菌を気を付けなければなりません。
 風邪は<病気の始まり>、また老いると益々体力が弱りいろいろな病原菌に侵され易いので、日頃からうがいや手洗いをして<持ち込み禁止>の札を張りましょう。(桜54)

2011年10月3日月曜日

家の管理(71:恩師の死)

10月3日(月曜日)
 小生が6年生時の受け持ちだった先生(恩師)が先月末亡くなられ、今日午前中に葬儀がありました。その恩師は小学校の校長をされたり公民館長もなされ、地域住民等の面倒を見て頂いた方なのです。
 今日の葬儀式場には、地域住民のみならず自治会関係者や学校の先生方、また行政等多くの参列者がありました。
 そういったことで、通常は100名程度入る式場で葬儀が行われるのですが、部屋の外のホールまで椅子を並べ焼香にはかなり時間を要しました。また弔電も多く、ほとんどの方の電文は読まれず氏名だけ読み上げられたのです。
 小生の周りから、次々と教えていただいた恩師や諸先輩がお亡くなりになりますが、これも自然の摂理なので致し方ありません。ご冥福を祈ります。(桜54)

桜つれづれ日記(82:同期会)

10月3日(月曜日)
 昨夜3年ぶりに宇和島南高同期会が宇和島市内のホテルで開催され出席しました。(写真はテーブル同席者)
 遠くは東京や大阪・九州から参集されたのです。また宇和島市内や近郷近在に住んでいる方など、総勢40名余りの人が一同に会しました。卒業以来、小生と初顔合わせをした人もいたのです。さらに恩師4名も同席され、昔懐かしい話をしたり現在の状況なども話し合い、楽しいひと時を過ごしました。
 あと2年後には冊子の発行と共に、宇和島市内で<卒業50周年記念同期会>を開くとの話もまとまりました。
 話が尽きないまま散会となりほとんどの方が二次会へ行かれましたが、小生は翌日(3日)午前中の行事出席のため一次会で帰宅の途につきました。行きは歩いて、帰りはタクシーを利用しました。(桜54)

2011年10月2日日曜日

仕事遍歴(38:自己満足?)

10月2日(日曜日)
 今日は明倫校区市民運動会が挙行されていますが、雲は多いながら競技や演技に汗を流しているのではないでしょうか。
 さて小生が現役(と言っても予報官の時代)の頃は、予報作業はいろいろな資料や経験・先人から教わった事項等を基に予報官が頭の中で考え、県内に予報を出していました。だから当たり外れがあったのです。
 その昔ある予報官が自分の出した(雨が降らない)予報が大外れだったので、傘を持っているにもかかわらず<家まで雨に濡れて帰った>というエピソードがありました。
 最近では大型電子計算機に、いろいろな角度から物理計算された資料を入れ予報を出していますので、ほとんど外れることが無く当る確率がかなり高くなりました。しかし予報は面的に出しますので、ポイント的には若干のズレが生じています。
 小生が<今日の運動会は雲は多いながら雨は降らない>と、予想していた通りとなりましたので<自己満足>はしていますが、強いて言えば「もう少し晴れて来れば!」と思っています。(桜54)

健康管理(59:市民運動会)

10月2日(日曜日)
 今日は<市民運動会明倫大会>が実施されます。
 数日前から今日(2日)の天気を心配され、小生宅にも度々電話がかかってきました。そういったことで小生も気が気ではありませんでしたが、今日は雲が多く県内の一部では小雨が降っていますがどうやら運動会は実施出来そうです。
 さてその市民運動会は、児童生徒は学校授業で運動をする機会があるのですが、学校を卒業した途端運動する機会がかなり少なくなるのです。そういった関係で市民の皆さんを巻き込んで<運動会をするようになった>とも聞いています(健康増進)。
 一方田舎での運動会は、住民総出で楽しむ<交流の場>としても発展したようです。
 数年前までは小生も自治会の役員でしたのでこの市民運動会への参加が多かったのですが、近年は腰痛の関係で<天気予報の解説>の参加に留まっています。また交安協関係でも協力しています。(桜54)

2011年10月1日土曜日

家の管理(70:小さい秋)

10月1日(土曜日)
 上の写真は小生宅裏庭にある金木犀の木です。
 つい先日からどうも<匂う>様なので今朝じっくり見ますと、下枝に黄色い花芽が咲き誇っていました。まだ上の枝は咲いていませんので、昨日の時点でははっきりと確認できなかったのです。
 咲いた枝を少しばかり切って一輪差しにしました。母上殿が裏庭には行けませんので、ちょっとしたお裾分けです。
 午前中かなり晴れ渡り湿度も低くなりましたので、ちょっとだけ国道沿いの散歩に出かけました。
 国道周辺の一部ではまだ家の建っていない所があり、そこには栗の木が数本ありました。その栗の木にはご覧のように栗がたわわに実っていたのです。もうイガ栗からはじけ飛んだものもありました。
 今年は栗の豊作かも知れません。先日もあるお方から、また昨日は墓前参りの折と畑の管理者からそれぞれ栗を頂いたのです。さらに、銀杏もあちこち落ちているのが見えましたので、<小さな秋>は意外と足早にやって来ているようです。(桜54)

桜つれづれ日記(81:南予半周)

10月1日(土曜日)
 いよいよ今日から10月となって、今年も残りあと3カ月となりました。
 さて昨日、母上殿がデーサービスで出て行ったあと、女房殿を連れてドライブ(?)としゃれこみました。でも本当は友人の墓前参りに行ったのです。
 小生宅から国道320号線を北東に向かい鬼北町へ。墓前参りをした後家族の方としばらくお話をしました。昼前別れを言い再会を期して再び国道(R320)を北東進し、途中から国道197線に入り北上。この国道は南予の山間部を走る国道で、九州大分に通じている国道なのです。前線の南下で一時強い雨が降る中、途中車を止め車内で弁当を食って再び車を走らせ大洲市へ。今月中旬に学校で講義をしなければなりませんので、その下見も兼ねたのです。
 大洲市内にある学校を確認しましたが時間的余裕が無く(孫や母上殿が帰る時間が押し迫ってきました)、直ぐ高速道・国道56号線を乗り継いで帰ってきました。その距離130kmほどあり南予の道をほぼ半周した感じで、大阪往復に次ぐ長距離運転でした。(桜54)