2010年11月30日火曜日

補導と指導(61:ぐるっと一回り)

11月30日(火曜日)
 昼前散歩に出かけました。
 小生宅から真っ直ぐ国道沿いを南に向い、最近出来たスーパーからUターンして帰ってきたのですが、途中でいろいろな秋から冬に向う景色を見つけました。
 近くのスーパー裏では蜜柑が鈴生りなっていましたし、また国道沿いのイチョウはご覧の通り黄色に色付きとてもきれいでした。しかし、先日成っていました柿はすでになくなっていましたが・・・。

 さて交通安全協会では、本日市内各支部の協力を求めて門松を作り警察署玄関前に設置しました。小生の所属します明倫支部からも数名応援を出したのです。
  門松は高さ約4m、梅や松・竹をあしらった立派なものです。
毎年この時期に設置しますが、今年は朝こそ寒かったのですが、日中は気温も高くなってポカポカ陽気となったのです。
 今日はこのような秋から冬の景色を見たのですが、相変わらず運転者の横暴が目に付きました。特に狭い道での運転は危険な運転をする方が多く、特に軽自動車を運転する女性が目に付きました。
 小生の脇を間隔を置かず後ろからすり抜けたり、携帯電話をしながらまたタバコをふかしながら運転したりしていました。やはり黒系の車に多く、白ハンドルで運転している人には気を付けた方が良さそうです。
 今年は今のところ<アンダー80>の目標値以内なので、このまま推移すれば今年こそ<目標達成>かもしれません。
 年末になりますとそれぞれ気忙しくなりますが、安全運転には気をつけて下さい。(桜54)

日本の苗字(27:キ-ナ行)

11月30日(火曜日)
 今朝もやや冷え込んだのですが昨日ほどではありませんでした。でも寒かったですよ!
 さて上記行では、36の姓を確認しています。
 主な漢字は「木」で18姓、次いで「絹」という漢字で6姓を確認した他は、全て3以下の姓でした(喜・衣・城・杵・義・紀・宜)
 <衣>と<絹>は同じように使われていました(衣笠・絹笠、衣川・絹川)。
 <木>という漢字は、以下に続く姓、例えば、<名瀬>、<野村>、<野本>、<野山>、<野内>などの頭に使用し、<木名瀬(キナセ)>、<木野村(キノムラ)>、<木野本(キノモト)>、<木野山(キノヤマ)>、<木野内(キノウチ)>のように使用してありました。
 また次のような苗字もありました。キナ(喜名)、キネ(木根)、キノ(木野)、さらに、キノウ(城能)という苗字もあったのです。(桜54)

2010年11月29日月曜日

家の管理(83:玄関にクリスマス飾りが・・・)

11月29日(月曜日)
 今朝の最低気温は2.9度とこの秋一番の冷え込みとなりました。しかし日中は14時現在15.5度とほゞ平年並みの気温となっています。間もなく12月ですよ~ォ!
 さて小生宅玄関には、つい先日女房殿が写真のごとく<クリスマス飾り>を施しました。
 赤色が主になっていますのでとても華やかです。しかも鏡に映っていますのでなおさらです。さらに周りには孫と共に採ってきた<カラスウリ>も彩となっているのです。
 写真右下にある人形(サンタクロース)は電池で動きおしゃべりをしますので、孫たちはスイッチを入れ遊ぶこともあります。またそれに合わせて踊ることもあるのです。
 クリスマスは日本古来の催しではありませんが、戦後すっかり日本に定着してしまいました。今では宗教色を抜きにして子供たちの楽しい祭りの一つとなって、孫たちは<サンタさんの贈り物>を待ち遠しく思っているようです。(桜54)

桜つれづれ日記(113:話題いろいろ)

11月29日(月曜日)
 今朝の最低気温は2.9度とこの秋一番となって大霜の朝を迎えたのですが、この寒さは今年4月8日以来の低さなのです。ちなみに昨年は12月7日に初めて3度台になりましたので、今年はほゞ1週間ほど早く発現しました。
 さて今朝の新聞を見ますと話題いろいろです。特に愛媛県では昨日県知事選と松山市長選がありましたので、その記事が1面からずっと載っています。
 愛媛県知事に当選された中村氏は<前松山市長>、松山市長に当選された野志氏は<前民放アナウンサー>という経歴だそうです。
 一方、沖縄県知事には仲井真現知事が再選されたそうです。また和歌山県知事選挙や市長の選挙も各地であった模様です。
 大相撲も昨日が千秋楽、またサッカーもあと少しとなって興味ガ湧きますね!さらにアイススケートなども・・・
 秋は行楽、スポーツ、お祭り・・・・、などいろいろあって話題は事欠きませんね!(桜54)

2010年11月28日日曜日

宇和島を知る(72:駅前から西に向って)

11月28日(日曜日)
 今日も日中散歩に出かけました。昨日より腰の状態は幾分悪いのですが、<歩かねば!歩かねば!>と思いつつ少し遠出をしました。また、弱い冬型の気圧配置となって風がやや強く肌寒くなっていましたが・・・。
 今日は駅前から市役所を廻ってきたのですが、またいろいろと新しい発見がありました。
 上の写真は駅前から西に向って写したもので、北西の風にあおられ椰子がたなびいていました。このまま進みますと市役所や高速道路に繋がります。反対方向へは高知県に向う道路となっています。
 写真を撮った場所には中の写真のような銅像がありました。銅像と言えば通常人間様が主体なのですが、この宇和島では<闘牛>が観光の目玉となっていることから、JR駅前には牛(闘牛)の銅像が建ててあるのです。毎年5回ほど闘牛大会が開催されます。
 駅前からワシントン椰子を眺めながら西に向って歩きますと1km足らずで市役所付近、そこから少し南に向きを変え50mほど歩きますと下の写真の橋に出くわします。その橋は<うわじま橋>と言ってその昔は大阪市にあったそうです。川の埋め立てや改良工事によって不要になったことから宇和島市に寄贈され、昭和50年代に現在の場所に移築された模様です(上の照明は、昔はガス灯であった)。
 現在では歩く人も数少なくなりましたので、地元の人でもじっくり橋の名前を見て通る人は少なくなりました。
 このように歩くことによって、知らなかった事が新たに発見されたり、また知っていてもうる覚えであったりと、宇和島を知る良いきっかけとなりました。(桜54)

仕事遍歴(54:真夜中の出勤)

11月28日(日曜日)
 宿舎のある土佐清水市内から職場のある足摺岬先端まではおよそ16km、約30分余りの通勤時間でした。毎朝同じような時刻に宿舎を出発し、同じような時刻に勤務先に着くという毎日を過ごしていました。
 小生が清水測候所に在籍した1年間に台風が数回接近したのです。そのたびに出勤を余儀なくされ、勤務時間外でも出向かねばならなかったのです。
 8月だったと記憶しますが、<台風接近による異常状況>を報告され、真夜中に強風と降りしきる雨の中を車に乗ってスカイラインを通り仕事場に出向いたことがありました。その時道路上は強風のため木々の葉が散乱し、また小枝も所々で折れ散乱していました。と、下りカーブを廻った途端道路を塞ぐように大木が倒れていたのです。急ブレーキを踏み小生は何とか通れましたが、職場到着後直ぐ市の災害対策本部に連絡を入れ<除去>していただきました。
 小生たちのような職場でも通常の勤務時間外は出勤することはほとんどないのですが、異常時や出勤要請があった時のみ出勤が強要されるのです。このような異常時の出勤は、真夜中であったり早朝であったりといろいろです。
 小生はいろいろな官署で、地震や台風等の異常現象で何回出勤したことでしょうか。(桜54)

2010年11月27日土曜日

桜つれづれ日記(112:ああ勘違い!)

11月27日(土曜日)
 今朝は再び5度台の気温となり寒かったのですが、日中は快晴となって小春日和となりました。その中を預かった孫を連れて山行きとしゃれ込みました。と言っても小さな鉛筆に挿す竹を採りに行ったのです。そうそう、先日破損した電気器具は全て分解し修理しました。
 さて今朝ほど母上殿がチラシを見て、「宇和島にも子供広場あるのかな?」と言ったのですが、小生は全く記憶にないのです。宇和島のことなら大概知っているつもりなのですが・・・。
 よくよくそのチラシを見ますと<ドコモ広場>と書いてあるのです。ある会社が<子供を連れて来た時遊べる場所がある>とのうたい文句のようです。ちょっとした言葉の並びで、さっと読み違えるものですね!
 その昔、小生の子供やその従兄弟たちの言葉に次のようなものがありました。<ゾーレッコ>とか<ムークーキ>と言うものですが、お分かりですか?
 <ゾーレッコ>とは冷蔵庫のことで、<ムークーキ>とは扇風機のことなのです。なんとなく分かったのですが、言葉の並びや耳で聞くちょっとの違いでこのような言葉となるのですね。このような言葉は親でしか分からないので、それぞれの家庭でもあるかもしれませんヨ。(桜54)

健康管理(84:心が動く)

11月27日(土曜日)
 小生の腰痛はおなじみとなりましたが、小生の兄妹もまた子供もやはり腰痛に悩まされています。
 兄妹は県都で腰の治療をしていて<少しずつ良くなっている>とのことなので、<小生もひょっとしたら良くなるのでは?>と思って心が動き始めました。
 海外へ行ったり高原の町へ行ったり、また市内の整体や接骨院、さらに病院などにもかかってみたのですがなかなか進展しないのです。
 毎日腰の状態を自分なりに数値で表していますが、上下変化はあるもののここ3~4年ほとんど数値変化がない(上昇しない)のです。
 そういったことで兄妹の行っている所へ行ってみて、<駄目もと>でもいいかな?と思うようになりました。ただ若干行き帰りに時間がかかりますので、その点がネックとなっています。さてどうしようかな?(桜54)

2010年11月26日金曜日

宇和島を知る(71:素通り?)

11月26日(金曜日)
 今朝の最低気温は10度余り、日中の気温は13~14度と大きな気温変化はありませんでした。やや肌寒さを覚える北風が吹いている中を、ちょっとだけ散歩をしてきました。

 小生宅から北に真っ直ぐ歩いて行きますと、国道と平行して通る道があり学校街で交わるようになっています。その交点付近には伊達藩の名園<天赦園>があり、その近くには<伊達博物館>があります。
 今日はそこを通り城山を一周してきたのです。

 伊達博物館は名の通り、伊達家にまつわる武具や歴史書など貴重な品々が展示されています。小生も度々入館しいろいろと教わりました。でも今日はその前を素通りしたのです。
 上の写真中央に緑色をした箇所がありますが、その場所は宇和島城を有する城山なのです。登り立ち門(南側)脇には下の写真の通り<えひめ森林浴八十八箇所(11番)>の標識がありました。城山はうっそうと茂った植物で覆われ、温帯から亜熱帯にかけての植物が生えているのです。まるで植物園の様子を呈しています。
 その脇を素通りし、城山を一周し<きさいや広場>に寄りました。先日発売となりました<宝くじ>を買うためです。何時ものごとく当たる確率は<0>に等しいのですが、買わなければ当らないのです。まあ夢だけ買いました。
 今日は昨日より少しだけ歩数が伸びましたが、今日の方がやや腰に来て午後からは休息の時間とします!(桜54)

家の管理(82:破損)

11月26日(金曜日)
 今朝は幾分気温が高くしのぎよい朝となったのですが、全天に雲があり気分的には肌寒く感じました。
 さて今朝突然女房殿が、「蛍光灯が壊れた!」と言って起きてきました(小生はその前に起きています)。
 見ますと、蛍光灯の消滅用の紐が根元から切れたのです。 修復する作業は、上を向いて出来ませんのでそれぞれ分解し下に下ろしたのです(写真)。さてどのように直してよいやらと思案しているのですが、(穴が小さいので)中央部分を覆う蓋を取り外さねばならないようです。これから作業を開始しますが、まずはこのブログを書いてから事を進めます。
 この蛍光灯はこの部屋を増築した時付けたものですから、もう35年余り経っているのではないでしょうか。かなり重く下ろすのに苦労しました。さて作業の結果は後日・・・(桜54)

2010年11月25日木曜日

防災を考える(45:耐震岸壁)

11月25日(木曜日)
 昼前再び散歩に出かけました。少しでも<歩くことは良い>と思っています。
 さて今日は<きさいや広場>周辺の散策でした。小生宅から真っ直ぐ北に向って(国道沿いを)歩きますと、自然ときさいや広場に着くのです。その付近に沿岸航路の基地がありいろいろと細かく見て廻りました。その場所(岸壁)には写真(1)のような看板が出ていました。

 宇和島周辺の海岸はリアス式海岸で離島も多く、その島々を結ぶ沿岸航路も発達しているのです。地震や津波に襲われますと、こういった離島やまた九州からの運搬物資の荷揚げのため近年整備されました。
 沿岸航路の船は主に写真(2)のような高速船で、近い所では15分でまた遠距離ではおよそ1時間で結ばれています。
 写真中央の山が九島で、昨日のブログに掲載した宇和島湾頭の島なのです。この島には写真より一回り小さなフェリーが就航しています。こういった船も災害時には救援物資の運搬船に早代わりします。

 周辺の施設には、写真(3)のような造船所やガスタンクなどがあり災害時には大変な場所になるかもしれません。
 近い将来南海地震の発生確率が徐々に高くなっていますので、少しずつでも災害に備えるよう整備が進んでくれることを願っています。(桜54)

宇和島を知る(70:石に思いを!)

11月25日(木曜日)
 今朝の新聞(愛媛新聞)によりますと、<「宇和島}と名前(学名)の付いた化石がありますよ!>というクイズが載っていました。小生はピーンときました。
 小生がまだ中学生の頃、先生からこのような言い出しで教わったことがありました。そういったことで、仲間と各所に行っていろいろな化石を探したものです。古城山、小池、石応(コクボ)、大超寺奥、野川、柿原などへ・・・。
 その化石は<イノセラムス・ウワジメンシス>と言って、二枚貝の化石なのです。小生もあちこちでその化石を掘り当て集めていました。最後(高校を卒業する頃)には中学校等へ寄付したこともありました。もう一つ、<ヘミアスター・ウワジメンシス>というな前のウニもあるそうですが小生は知りませんでした。これも見付けたかもしれませんが、名前も知りませんでしたので<ただのウニの化石>としか覚えていません。
 そういった化石に思いを寄せてあちこち探した経緯が、社会に出てからあちこちで珍しい形や色の石を集めるようになったのです。今でも庭のあちこちにそのような石が転がっています。
 石はものを言わぬ反面、いろいろな思いを想像させてくれますネ!(桜54)

2010年11月24日水曜日

健康管理(83:川に沿って歩いた)

11月24日(水曜日)
 今日は上天気です。朝は再び5度台の気温と低くなりましたが、日中は快晴となって気温も上がりました。その日中神田川(ジンデンガワ)に沿って散歩をしました。
 神田川の源流は鬼ケ城山系の西端に発しますが、河口付近で来村川に合流します。
 小生宅から北に約1kmほど歩きますとこの川に出ますので(泰平寺付近)、その川に沿って今度は東に向います。その川沿いには泰平寺や立正寺、妙典寺、光国寺、大超寺のお寺があります。
 その道は川に沿って遡りますので、少しずつ上り傾斜になっているのです。帰りには対岸の道を下りながら帰りました。時間にして往復約50分、歩数にして6,000歩くらいでしょうか?
 今日のように日中日が射し風がありませんと、薄っすら汗をかく状態です。良い運動になりました。
 今月に入って腰の状態も比較的安定していますので、何時もの月より散歩の回数が多く距離も伸びています。(桜54)

宇和島を知る(69:半世紀ぶり)

11月24日(水曜日)
 昨日我が町内にある金勢神社の例祭がありましたが、その折孫と共に裏山に登ってみました。久々です。50年(半世紀)ぶりではないでしょうか?

 1枚目の写真は神社から40mほど上った所から見た景色で、小生宅から西方向なのです。写真中央に薄っすらと見える山は<九島>といって宇和島湾頭にある島なのです。また写真左側にあるこんもりとした(三角の)山は、三島神社のある<尾串の森>です。九島は直距離3km、尾串の森は直距離1kmくらいでしょうか(写真左隅が金勢神社)。

 2枚目の写真は神社から50mほど上がった所から見た(北西方向の)宇和島港の景色です。薄く見える山は吉田町の境にある<槙ノ山など>です。その山の手前にちょっとだけ宇和島港が見え、その手前には高速道路が走っています(拡大しないと判りませんね)。この高さではまだ山頂までの半分も登っていません。
 さてこの2つの写真の中央付近は家がかなり建ち並んでいますが、50年程前には田んぼや畑が連なり、家は所々しかありませんでした。
 山に登った時はそれほど腰は痛くなかったのですが、下りてからしばらくして痛みが出てきました。やはり無理をしたのでしょうね。
 それもそのはず、山道はウサギ道なので細く、また急傾斜で路肩は崩れかけている所が多かったのです。そのため足を踏ん張りながら歩行しましたので、自然と無理が出たのでしょう。
 老骨に鞭を打たない方が良かったですね!それにしても久々でした。(桜54)

2010年11月23日火曜日

宇和島を知る(68:餅まき)

11月23日(火曜日)
 今日は町内にある<金勢神社例祭>の日でした。
 この例祭は、地元の火災を鎮める神様の神事で、練り(山車)やわいわい騒ぐという通常の祭りではありません。
 江戸期に地元で発生した火災を、<以後発生しないように>と旧来村(クノムラ)と旧宇和島市との境に建てられた鎮守様なのです。氏子は地元町内(山際1~4丁目、並松1丁目)なのですが、周辺の方も時折お参りされるようです。

 本日14時から三島神社神主を招いての神事(例祭)が、また15時から各町内や周辺の町内から集った氏子に祈願した餅をまきました。
 宇和島の人は<餅まき>があると直ぐに集まるのです。だからいろいろな行事をする時には、<餅まき>という言葉を入れ回覧板やパンフレットを配りますと大勢の方が参集されます。面白いですね!(写真は神事と餅まき)
 その金勢神社は小生宅から100m余り南の山麓にありますが、神社付近は傾斜がきつく歩行すら難しい所なのです。

 その裏山に50年ぶりに中腹まで登ってみました。孫の教材を集めるためです。景色がきれいでとてもすばらしい所なので詳細は後日掲載します。(桜54)

桜つれづれ日記(111:不用意な発言)

11月23日(火曜日)
 今日は<勤労感謝の日>です。また小生地区氏神様<金勢神社>の例祭がある日で、午後2時から例祭式典が、また午後3時から餅まきが開催されます。
 さて国会ではある大臣が、不用意な発言で更迭されたようです。
 国を動かす大臣は発言する言葉には十分気を付けなければならないのですが、小生たちのようなボランティア団体でも、不用意な発言で喧嘩になったりまた他所から指摘があったりしますので、言葉選びには十分気を付ける必要があります。
 先日交安協で街頭指導をしていた際、通行禁止帯を通行した車の運転手に「今の時間帯は通行禁止ですよ」と話しかけた途端、「言い方が悪い」と言われました。どのような仕草・言い草をしたのか記憶にないのですが、ちょっと不用意な言葉が出たのでしょう。
 でも言葉もそうかもしれませんが、通行すること自体<標識を見落としたり、知って通行する>といった状況があるのです。お互いいろいろと他人様への行動・言動は注意しなければなりませんね!(桜54)

2010年11月22日月曜日

健康管理(82:定期検診とワクチン接種)

11月22日(月曜日)
 今日は「いい夫婦」(11:イイ、22:夫婦)の日だそうです。そのため女房度を連れて病院と県知事選挙の期日前投票に揃って行ってきました。
 病院へは、先日女房殿がインフルエンザのワクチン接種をしたのですが、どうも別の風邪にかかったらしく診察に連れて行ったのです。孫が数日前から咳をしたりしていましたので、その風邪がその子の母親にもかかりまた女房殿にもかかったようなのです。身内でインフルエンザのワクチン接種をしていないのは小生だけとなったのですが・・・。
 さて病院から帰った女房を連れ、今度は県知事選挙の期日前投票に行きました。投票日当日は小生か女房殿どちらかが介護をしなければなりませんし、小生は運転が出来ても女房殿は運転が出来ないのです。よって今日は母上殿がデーサービスで出て行きましたので、夫婦揃って投票に行ったのです。
 小生は朝のうち月1度の検診に行きました。今回は年1回の血液検査も兼ねたのです。まあ今の所は血圧に関する異常はありませんので、何時もの投薬が施されました。(桜54)

仕事遍歴(53:管理職)

11月22日(月曜日)
 平成16年4月には、小生の仕事も残りわずか1年を切るようになりました。
 最後のお勤めとなる高知県土佐清水市清水測候所に赴任したのです。場所は(先日紹介しました)足摺半島の先端にありましたので、土佐清水市街(宿舎)からおよそ16km先にある職場に毎日車(主にバイク)で通勤していました。
 その測候所には(所長を含め)職員8名が居て交替勤務を行い、毎日の気象観測並びに沿岸・地震観測を実施していました。そういった職員の監督並びに指導を行なうことになったのです。
 小生の勤務経緯は、主に観測・予報・調査・統計業務でしたが、沿岸や地震についても概ね理解していました。
 清水測候所に赴任するまでは、中間管理職として潮岬・高知・京都・松山を丸10年経験しましたので、職員への指導や相談は概ね出来たと思っています。
 管理職になりますと、職員との信頼関係が最も重要になってきますので、日頃から職員との対話や行動を見守るという作業が加わり、さらに仕事の良し悪しについても評価しなければならなくなったのです。
 気象庁の職員は対外的な業務がかなり少ないため、比較的おとなしい性格を持っていました。(桜54)

2010年11月21日日曜日

補導と指導(60:電動車いす)

11月21日(日曜日)
 今朝の新聞(愛媛新聞)によりますと、愛媛県内の電動車いすはおよそ13,000台との事です。モーター付きながら最高時速は6km/h未満のため、道路交通法上は歩行者とみなされ右側通行とされています。
 車からはこの車椅子の座席が低いため、時には見えにくく事故も多発しています。よって宇和島署管内では、少しでもその存在を見やすくするため、写真のように車椅子後部に<黄色い旗>を立てるよう指導しています。
 昨年から今年にかけ、交安協明倫支部では希望者配布を行い10数本を寄贈しました。しかしまだ目印の旗をたてずに通行しておられますので、安全のためには目印の工夫をする必要があります。
 ちなみにこの電動車いすは法規上<歩行者と同等>とみなされますが、<電動>と言うことで左側を通行しておられる方もあるなど、ルールの徹底はなかなかされていません。
 ゆっくり走行のため<咄嗟の動きが出来ない>とか、スーパーなどの店内に入って<身動きが取れなくなった>とか、様々なトラブルが発生しています。
 ご利用される場合は、車椅子の機器動作を把握し、交通ルールを守るなど自分自身の対応が必要です。(桜54)

宇和島を知る(67:処変れば品変る)

11月21日(日曜日)
 昨日午後散歩に出かけた際、何時も見る景色に出くわしたのですが<何か変>と思われたのです。
 小生宅からは<鬼ケ城山系>は見えませんが、ちょっと西又は南北に出て行きますとその勇姿が見えるのです。以前もこのブログに度々その勇姿の写真を掲載しましたが、昨日の勇姿はちょっと違っていましたのでご紹介します。
 写真右(尖った山)は権現山といって神信仰のシンボルの山、また左の山(山頂が横に繋がっている)は鬼の住む山<鬼ケ城>なのです。
 今までと違った見方なので、時には鬼が鉄棒を持ったようにも見える時があるそうです。
 以前掲載しました<泉が森(別名三間富士)>も、角度を変えれば山容も違って見えるのです。こういった山の姿を、いろいろな場所(角度)から写真に収めてみるのも面白いかもしれませんね!(桜54)

2010年11月20日土曜日

畑の管理(22:三度目の芋掘り)

11月20日(土曜日)
 今日はちょっと腰の調子も良かったので、久々畑に行きました。
 先日剪定した木や雑物などを車に積んで畑に行ったのです。天気も良いので芋掘りの作業も開始したのですが、いくら掘っても小さな芋だけしか出て来ないのです。
 7月中旬猪に荒らされ直ぐ植え直したのですが、その後の天候不順(高温と雨不足)によって芋の太りが悪かったのだろうと思います。先月下旬に掘った芋も数が少なく小さかったのです。
 芋は秋口になりますと甘味は増しますが、なかなか大きくならないそうです。だから今年は、小生たちの口に入る芋は小さくて甘味の少ないものだけしか有りませんでした。
 今日はその他、先月草刈りをした草を集め一部を山積みにしました。もし来年腰の調子がかなり安定しましたら、今までのように畑耕作をするつもりなのです。そのため、いろいろと準備だけはしておくつもりです。(桜54)

健康管理(81:入院と退院)

11月20日(土曜日)
 昨夜大先輩のU氏から連絡が入りました。「無事退院しましたので、ご安心ください」と。  
 氏は先週後半県内の病院に入院され治療を受けられていたのですが、思いの外軽くまた治療も順調であったことから<早期退院>となったようです。来月の会合には元気なお姿が見えると思います。
 さて町内で懇意にしていただいた方が数日前入院されました。その方はご高齢ですが日頃から散歩などもされ元気で居られたのです。しかし、何かの弾みで転倒され入院されていました。その後一旦退院されていたのですが、体調不良を訴えられて再び入院されたとの事でした。その方のお見舞いに昨日、女房殿はご近所の方と連れ立って行きました。
 病院の入退院を繰り返すということは、体調的にも<しっかりしていない(不安定)>と言うことかもしれません。
 小生はまだ入院という経験はありませんが、体調が不安定にならないよう出来るだけ日々の食生活や行動は一定にするよう心がけています。(桜54)

2010年11月19日金曜日

桜つれづれ日記(110:もらい物いろいろ)

11月19日(金曜日)
 今朝は交安協で<街頭立哨指導>をしましたが、寒くて寒くて震え上がりました。
 さて最近あちこちからもらい物が多くなっています。
 といっても野菜や果物が多いのです。隣近所の交流やボランティア活動での交流が主なもので、今日も昼頃裏の方が、「もらい物です」といって柿を少々持参されました。またつい先ほどお向かいさんから、「鉢植えで育ったものだがピーマンが鈴なりになっているので、要らんかえ!」と言われ、入れ物がなかったので帽子を差し出し一杯入れていただきました。
 数日前には交安協のメンバーから、「畑に芋が出来たのでもらってほしい」と言われ、米袋(30kg)一杯の芋を持参されました。その前には、苦瓜(ゴーヤ)や柿、漬物、佃煮、魚、貝、貝柱など様々な食品がご近所の方から舞い込んで来たのです。勿論お菓子等もありました。中にはお土産だと言われ<焼酎1升>も!
 <向う三軒両隣>、<助け合ったり助けたり>と、いろいろ交流することは良いことですね!(桜54)

補導と指導(59:ぶるぶる)

11月19日(金曜日)
 今朝の最低気温は5.7度と、この秋二番目に低い気温となりました。勿論霜が降りたのです。
 その時間帯に交通安全に係る立ち番を行ないました。明倫橋の袂で7時半からの1時間、寒さと腰痛でブルブルと震えたのです。神田川という川沿いに横断歩道がありますので、その川筋に沿って流れてくる冷気が身体に堪えるのです。
 朝の時間帯は国道を通る車が絶えませんし、小学生から高校生までの通学者も多いのです。明倫橋の周りには明倫幼稚園、明倫小学校、城東中学校、また宇和島南中等学校(ちょっと先には城南中学校・鶴島小学校・宇和島東高等学校・宇和島水産高等学校)がありますので、歩行通学、自転車通学、自動車通学でかなり混雑するのです。
 朝の時間帯は、見守り隊、先生方、交通指導員など多数の方が交通指導を行っていますが、今朝はそれぞれ厚めの服を着たり防寒コートを着たりと、寒さに耐えていました。
 このような寒さはこれからが本番です。寒さに負けずに頑張りましょう!(桜54)

2010年11月18日木曜日

家の管理(81:孫の絵画展)

11月18日(木曜日)
 いよいよ芸術の秋たけなわです。
 小生宅でも孫がいろいろと気に入った絵(?)を描いています。昨年は階段に絵を飾っていましたが、今年はご覧の通り冷蔵庫の扉に貼り付けているのです。
 それぞれがお人形さんの絵を描いて自慢しているのです。小生も60年ほど前小学1年生の時、絵を描いて県の小学生絵画展に出たことがありましたが、実を言うと絵を描くのはとても苦手なのです。でも小生の妹の娘は絵が得意で、<挿絵>などを描いているようです。小生宅にも又子供の家にもあちこち飾ってあります。
 そういった流れを汲むのでしょうか、孫たちはそれぞれ絵を描く真似事をして遊んでいます。小生宅では孫が来ても外に連れ出すことがかなり少ないので、自然と家の中での遊びとなるのです。それが絵を描く遊びに繋がったのかもしれません。
 しばらくの間は目移りするかもしれませんが、冷蔵庫の扉に飾っておきましょう。(桜54)

桜つれづれ日記(109:二度目の米寿祝い?)

11月18日(木曜日)
 昨日は孫の両親の仕事の関係で、4人全てが同時に学校から我が家に帰ってきました。
 帰宅してからそれぞれが勉強を終え、またそれぞれの孫が遊びを変え遊んでいました。とその時一人が母上殿に人形の帽子を冠せたのです。突然の出来事に母上殿もびっくり!でもにこやかに写真に納まっていました。まるで二度目の<米寿祝い>のようですね(母上殿の後ろの鏡に小生が映っています:カメラを構えて)。
 孫4人は楽しく遊んでいたかと思うと突然口げんかをしたり、またフィ!と居なくなったりと様々です。昨夕も些細なことから口げんかとなったのですが、一応治まりました。小生たちの対応が次第に難しくなってきた、今日この頃です。
 孫はそれぞれ反抗期があったり、学校でのイライラがあったりと原因は事欠きません。出来れば仲良く毎日を過ごしてほしいのですが・・・。(桜54)

2010年11月17日水曜日

防災を考える(44:次年度へ始動)

11月17日(水曜日)
 今年度明倫校区内へ<津波高標示板>の設置を行ないましたが、比較的好評のようです。今まで知り得なかった標高や、津波に対する話がボツボツ入って来るからです。
 さて次年度(平成23年度)へ向けて少しずつ設置に係る作業を始めました。
 校区内の低い地域から優先的に行なっていますので、次年度は学校街を含めた地域を実施するつもりです。
 先日工業団地を含めた地域の標高及び電柱の調査を行いましたが、今日は申請に係る調査を行いました。今年度は全て電力会社の電柱に<津波高標示板>を設置したのですが、次年度は別会社の電柱にも設置しなければならなくなったのです。それは先日調査した地域では、この別の電柱の割合が多かったからなのです。
 早速その会社に連絡を入れ確認を取ったところ、「一応無料です」との返事を頂きました。よって次年度も今年度同様の作業を行い、年度当初から動けるよう作業を開始しました。
 少しでも、津波災害から地域の皆さんの生命を守りたいと思っています。(桜54)

桜つれづれ日記(108:目の前は秋)

11月17日(水曜日)
 昨日午後近くを散歩した際、写真のような秋を見つけました。といっても通常見る状況なので何の変哲もありません。
 今年親戚内の柿は余り育っていないそうですが、この写真の柿園の柿は見事に育っているのです。手入れが良いのか又は木の種類によるのでしょうか?
 小生宅にも柿はあるのですが、種子から出来たものなのでまだ実は付けていません。勿論花も咲かなかったのです。

 この柿園を過ぎますと(面積が小さな)ススキの原っぱがありました。
 このススキも一面に広がりますときれいなものですね!その昔高知県と愛媛県境付近の山岳に行った際、とてもきれいなススキの原に出会ったことがありました。
 真っ白になったススキは、そよ風に吹かれ揺れている様は何とも言えない景色です。
 近年旅行にもまた宇和島を離れることも少なくなりましたので、一面のススキの原を見ることがなくなりました。この狭いススキの群生は、その一瞬を思い出させたものでした。(桜54)

2010年11月16日火曜日

健康管理(80:目標値)

11月16日(火曜日)
 健康のため<歩くことは良いことだ>と教えられていましたが、腰痛のためなかなか歩く機会がありませんでした。
 在職中は昼休みに良く歩いたものでした。また通勤においても歩く機会があったので、目標値の1万歩は軽く越えていた時期があったのです。
 小生が歩き始めたのは大阪時代でした。通勤時に歩いたりまた昼休みに歩いていたのです。そのコースは大阪城へ、また大阪駅付近まで、さらに高速道路の下を時間まで・・・、といったように昼休みを有効利用していたのです。
 大阪から転勤後の高知時代でも、また京都時代でも、さらに松山や足摺時代でもほとんど(雨の日を除いて)毎日続けました。
 そういった場所では毎日コースを変えても目移りがして飽きる事がありませんでしたが、宇和島では長年見慣れた景色です。ついつい億劫になって次第に回数が少なくなってしまったのです。しかも腰痛の悪化と共になおさら距離が短くなったのです。
 ここ数日は比較的腰痛を忘れる時がありましたので、昨日は1万歩を超える数値が出ました。久々の数値なのでこのまま続けたいのですが、今日は孫が昼過ぎ帰って来て少々相手をしましたので、その目標値に向って進むことが出来ませんでした。
 またの機会に努力します。(桜54)

学習してみよう(20:統計を取る)

11月16日(火曜日)
 今朝は冷え込んで周囲の屋根には霜が降り、この秋一番の気温(5.3度)を記録しました。
 さてこのようなちょっとした記録をメモに残したり、また毎日の記録を続けていたりする値は、いろいろな方面で利用されています。
 例えば、昨年と比較したり、回数から平均値出したり、子供の成長する記録となったり、さらに数年前の自分自身の行動と比較したりと様々な<変化>が分かるのです。それによって「将来どうすればよいか」や、自分自身で納得したりと応用範囲が広がります。
 「今朝はかなり冷えて霜を観測しました」と書きましたが、昨年(2009年)は12月7日に、また一昨年(2008年)は11月22日となっていました。だから今年はここ数年で最も早く冷え込んだのです。よって今年の秋は、小生が予想した通り「夏が長く 秋が短い(冬が早く来る?)」の様子を霜の観測から想像出来そうです。
 皆さんもいろいろなメモを残して、いろいろなものと比較しては如何ですか?(桜54)

2010年11月15日月曜日

宇和島を知る(66:下を見よ!)

11月15日(月曜日)
 午前中ちょっと遠距離を散歩しました。その折下を見ますとマンホールの蓋がカラーとなっている所を見つけました。
 その場所は宇和島市の商店街でカラー舗装された所なのです。雨水用(上)と汚水用(下)のマンホールの蓋が写真のようになっていましたが、一般の道路のものはこのような彩色はされていません。商店街の道路がカラー舗装されていますのでそれに合わせてあるのでしょう。

 この他いろいろなマンホールがあったり模様が施されている場所があったりしますので、通行する場合、時には下を見て通るのも良いのですが、自転車や通行する人とぶつからないようにしてください。

 宇和島の商店街は、その昔県内でもいや四国内の都市の中でも<とてもきれいだ>と言われていましたが、現在では通行する人も少なく、また商店も閉店されている店もあるなど、かなり寂れてきました。
 宇和島の商店街は南北に細長く、恵美須町(北)から追手通り(南)まで真っ直ぐの道が1km余りあるのではないでしょうか?小生もしばらくぶりに歩きましたが、道が南に行くほど高くなって傾斜していますので少々歩きにくいですね!
 
 このように下を見たりまた上を見たりして通りますと、思わぬ発見があるようです。現在商店街の中には、宇和島地方で有名な(その昔加藤清正が朝鮮征伐に使っていた)牛鬼の頭があちこちに飾ってありますので、ぜひご覧下さい。(桜54)

桜つれづれ日記(107:縦と横)

11月15日(月曜日)
 今日は我が町内の資源ゴミ回収日です。朝早くから今日の当番の方が立ち番をしていました。吐く息はやや白く昨日までの気温よりもぐっと下がりました。
 さて先日来いろいろと出て行くことがありましたが、ふと思ったことがありました。それはいろいろな方とお話が出来たりまた情報が入ってくる中で、「あの人とは◎◎で知っていますよ」などと話しが出た後はかなり弾むことがあるからです。そういった横のつながりや、また会社(事業)などで(課長と課員など)縦のつながりが、今後の仕事やボランティア活動に影響が出てくるからです。
 小生が現在やっています<少年補導>や<交通安全協会>、また<桜観測>や<自治会関係>などで、人が不足した場合にはある人に頼んだり頼まれたり、さらに相談や申請など多方面で有効な手段となっているのです。
 人間生活ではこういった横や縦の繋がりが最も有効です。ご近所付き合いや仕事・作業(ボランティア)などで目に見えない繋がりがありますので、大切にして下さい。(桜54)

2010年11月14日日曜日

仕事遍歴(52:バイクで往復30km)

11月14日(日曜日)
 平成16年4月松山地方気象台で頂いた辞令を持って、高知県清水測候所(足摺岬)へ赴任しました。勿論単身赴任です。平成13年に女房殿の父が脳梗塞で倒れ、看病のため女房殿が付き添っていたからです。
 一応転勤の荷物の整理や赴任先での整理は、女房殿が付いて来てくれたので助かりました。宿舎は土佐清水市(半島の付け根)、勤務先は足摺岬の突端でした(位置的に灯台は少し北)。
 付近には部落があり観光地でもありますので、道路の整備やホテル・旅館、また商店なども揃っていました。さらに小学校や診療所もありましたので、通常の生活には事欠きませんでした。
 そういった部落の先端(庁舎の目の前は海)に測候所がありましたが、海上からは数十メートルも高いのです。台風期には打ち寄せる波のしぶきで、庁舎全体潮をかぶることがありました。
 その庁舎と宿舎の間は30km余りもありますので当初は車で通勤していましたが、途中からバイクで通勤するようになりました。スカイラインといって足摺半島の真ん中を二車線の曲がりくねった上下動のある道なのですが、まあ車の数が少ないのでバイクでも大丈夫でした。雨の日はやはり車でないと滑って危険を伴いますので、バイクは車庫の中で昼寝をさしました。
 松山では往復約15km(6年間)、松山空港では往復約35km(2年間)、高知では往復約20km(3年間)、また土佐清水では往復約30km(1年間)と、いろいろバイクで通勤しましたが別に恐ろしくはありませんでした。(桜54)

補導と指導(58:年末に向けて)

11月14日(日曜日)
 今日は宇和島市で<産業祭り>が開催されます。小生たち虹色ツーリズムのメンバーも出店しますので、ぜひお立ち寄りください。昔懐かしい粉引きもあるそうです。
 さて年末になりますといろいろな犯罪、特に窃盗犯が多くなります。今朝の新聞を見ますと、10月末現在の<街頭犯罪件数>が出ていました。2000年から全国最多を記録していました大阪府は、ようやく東京都が全国最多となって11年ぶりにワースト1を返上するそうです。しかしワースト2で多いのには間違いありません。
 街頭犯罪とは、<ひったくり>、<路上強盗>、<車上狙い>、<自転車・オートバイ・自動車盗難>、<自販機狙い>などを指すそうです。中には自転車や自動車の部品をはずす等、巧妙な手口も含まれているそうです。
 なお街頭犯の最多は東京都、続いて大阪府、愛知県の順番だそうです。
 皆さんも、自転車の前かごに網を付けたり、不用意に物を置かないなど対策を講じてください。(資料は愛媛新聞から頂きました=桜54)

2010年11月13日土曜日

桜つれづれ日記(106:○○祭り?)

11月13日(土曜日)
 今年もあと2ヶ月を切り、各地で○○祭りや○○大売出しなど様々な催しものが始まりました。
 今日もあちこちで販売合戦が繰り広げられていますので、小生宅に来たチラシを基に孫を連れて出て行きました。2つの電気店で景品の交換を行い、不足した物品を購入し、孫には菓子をもらって帰りました。
 明日には宇和島市内で<産業祭り>が開催されますので、女房殿は再び孫を連れて出て行くそうです。虹色ツーリズムのメンバーもこれに出店していますので、ぜひお立ち寄りください。
 未だ市内の神社では最後のお祭りが残っています。我が町内の金勢神社の例祭は11月23日、三間町三島神社の秋祭りもその頃ではなかったでしょうか?そういったお祭りが終わりますとそろそろ年越しの準備です。お早めに!(桜54)

健康管理(79:健診)

11月13日(土曜日)
 小生たちのような退職者は、定期検査を受診する方法がいくつかありますが、人によっては全くその情報を知らない人があります。
 市の広報誌からの健診や、掛かり付け医師による健診、さらに保険所での健診などがあります。女房殿も昨日市の健診を受け、「異常はなかった」との事でした。
 小生は、現役の頃は毎年職場からの定期健康診断を受けていましたが、退職後は掛かり付け医師による簡単な健診又は市による健診を受けています。こういった健診によってある程度の異常が見つかることが多いのです。
 大先輩のU氏もこういった健診で異常が見付かったとの事で、その処理のため昨日入院されたそうです。本人はいたって元気で話されていますが、やはり病名を聞くと<ゾクッと>来ました。
 1週間から10日ほどの入院で処理が出来るそうなので、今月後半には元気なお姿が再び見えると思います。しばらく静養してください。(桜54)

2010年11月12日金曜日

仕事遍歴(51:霞む鬼ケ城)

11月12日(金曜日)
 写真は、春霞ならぬ秋の霞んだ鬼ケ城です。山の稜線もはっきりしないようなぼんやりした景色が見えました。
 大陸で巻き上げられた細かい砂の粒が、風に乗って日本に飛来したのです。いわゆる<黄砂>現象なのです。
 春によく起こる現象ですが、秋にも時々現れるのです。昨日の天気予報の時、「明日は大陸から黄砂が飛来するかもしれません」との予測があった通り黄砂が発現しました。
 宇和島では雨が降ったあと急速に晴れて、空を見渡しますと霞がかかっているように景色がぼけているのです。雲がなくなると同時に気温も上がり、春を思わせるようなポカポカ陽気となりました。暦さえなければ春と間違えそうですね。
 天気図を見ますと日本の南半分は帯状の高気圧に覆われています。数日は暖かいかもしれませんね。(桜54)

補導と指導(57:定例理事会)

11月12日(金曜日)
 昨夜は交安協宇和島支部の理事会があり出席しました。
 年末から年始にかけての行事及び交通安全県民運動に係る協議があったのです。
 まず年末年始の行事では、「交通茶屋の開設」、「門松造り」、「交通安全祈願祭」が大きな柱でした。また各支部の取り組みなども報告されましたが、生憎小生たちの支部(明倫支部)では予定を組んでおりません。
 年末の交通安全県民運動(12月21日~31日)では、「おもいやり 愛があふれる 伊予の道」とのスローガンを基に、<高齢者の交通事故防止>、<飲酒運転の根絶>、<夕暮れ時・夜間の交通事故防止>を重点目標とし、特に年末は酒を飲む機会が多いので、<家族ぐるみで飲酒運転の防止をする>ことを確認しました。また夕暮れ時は事故が多発していますので、<16時30分(午後4時30分)を目処にライト点灯をするよう>指導強化を図るそうです。
 少しでも事故が少なくなって、笑って過ごせる年末年始を迎えたいですね。(桜54)

2010年11月11日木曜日

宇和島を知る(65:縁石標示)

11月11日(木曜日)
 昼前ちょっと近くの国道沿いを散歩しました。
 その折、写真のようなものが縁石上に標示されていましたのでご紹介します(黄色は車道と歩道を区別した縁石です)。
 国道56号線の縁石には、ごらんのような数値があちこちに標示されています。この数値は、国道56号線が高知から松山にかけて通っていますので、高知を基点としての数値(距離数)なのです。先般は国道の歩道上に設置されていました標識をご紹介しましたが、これは単なる数値でめったに人の目や、まして車で通っても気が付かないものなのです。しかもこの標示の数値は、車道側からしかまともに見ることが出来ないのです。
 工事に関係するのでしょうか、それとも測量に関係するのでしょうか定かでありません。皆さんも国道(車道側)沿いにあるこのような表示や、歩道(歩行者側)沿いにある標示などにも注意して見るのも良いでしょう。(桜54)

健康管理(78:年齢と共に加速?)

11月11日(木曜日)
 昨日、<段畑に雨量計を設置しました>と遊子公民館に連絡を入れたところ、早速取材され公民館(?)のブログに載っていました。
 さて小生、年は<今が一番若い>と思って作業に励んでいるのですが、やはり年齢以上に身体の変化が現れているようです。
 腰痛の件は幾度もブログ掲載していますが、他の症状も加速度的に現れるようになりました。外見では全く分からないのですが、身体の内部から出てくるちょっとした一瞬の痛みなのです。数ヶ月前から飲み始めた腰痛に係る<血流促進剤>の副作用か分かりませんが、腰とは別の場所に痛みが出始めたのです。
 最近では、左右の足のかかとにも痛みが走るようになりました。さらに腱鞘炎なのか手首(親指も含め)も、肩も・・・。と書いていますと<全身、これ痛みの塊>と思われますが、気の持ち様かも知れません。
 痛みが<身体を動かしてほしい>と訴えているのかも知れませんので、なるべく部位を動かし、身体に活(カツ)を入れています。何事も前向きに考える方が良いのではないでしょうか?(桜54)

2010年11月10日水曜日

宇和島を知る(64:再び段畑へ)

11月10日(水曜日)
 先日来、段畑関係者から依頼のあった<雨量計設置>に係る件で再度遊子地区へ行きました。
 今日は朝から風が強くまた気温は平年よりやや低かったので肌寒さを感じていましたが、段畑付近は海の直ぐ側でしたのでそれほど寒さは感じませんでした。一昨日段畑関係者から、「待ち受け工事が出来ましたので何時でも検査及び設置をお願いします」との事でした。
 現地では写真(上)の通り工事が完了していましたので直ぐ雨量計を設置し、また雨量の測り方や機器の保管方法、統計の仕方等を説明しました。
 この後は柵を設置しまた芝生の生え揃うよう水遣りをしなければならないそうです。四つのポールの内側には<段畑を模した石垣>があり、いかにも段畑らしい様子を呈していました。
 目を上に上げますと、(写真では見え難いかもしれませんが)段畑の所々で馬鈴薯の植え付け作業を行なっていました。あの美味しい焼酎の原料になる馬鈴薯なのです。
 小生も腰さえ悪くならなければ今月中に馬鈴薯の種芋を植えるのですが・・・。
 まあこれで一段落しましたので、予定を早めて来月から正式に観測を始める予定だそうです。(桜54)

補導と指導(56:朝の挨拶)

11月10日(水曜日)
 今日は「エレベーターの日」だそうです。小生は「ウィンクの日?」かと思っていました(11を横一横一と縦に書き、その右(左)に横一とその下に0を書く)。
 さて日本海側では冬型の気圧配置となって強風が吹き、所によっては雨か雪が降っています。
 今朝の宇和島は、西北西の風が10メートル前後と強くやや肌寒くなっていますが、窓の下を通る小学生は元気良く「おはようございます」と言って通り過ぎました。
 この朝の挨拶は以前小学校の会合の折、小生を含めた委員さんから出た意見が反映されたものと思っています。以前は、何も言わず下を向いて通り過ぎる児童が多かったのです。
 小生が別の地区で出会った児童からは何時も、「おはようございます」とか、「こんにちわ」等の挨拶を受けた事実を委員さんにも言ったことがありました。
 そういったことが先生を通じ児童への指導となったものと思われます。今では朝夕の登校下校時には、素直に言葉が出るようになってきました。挨拶は気持ちの良いものですね!(桜54)

2010年11月9日火曜日

桜つれづれ日記(105:主夫の仕事?)

11月9日(火曜日)
 次第に冬型の気圧配置となって風が強く、余り気温の上がらない日中となりました。また 風(風向)が西北西なので、中予地方の一部では雨が降っています。
 さて小生は退職してから5年以上経ち、その間に母上殿が脳梗塞で倒れましたので介護をすることが多くなりました。一方女房殿は、介護や孫の世話また子供たちの食事などで、休む暇がないくらい時間が足りません。よって小生は出来るだけ手伝うようにしています。だから<主婦の仕事>の一端を担っているのです。
 料理こそ今ではしませんが(単身赴任の時は何とか・・・)、その他の事は大体こなせる様になりました。朝のゴミ処理から始まって、洗濯物干し、台所の後片付け、母の介護、時には買物、孫の世話、洗濯物取り入れ、同たたみ、布団敷きなど・・・。まあ大した仕事ではありませんがほゞ毎日やっていますので、女房殿の作業が少しでも軽くなればと思っています。
 特に母の介護はそれほど<苦>ではなくなりましたが、小生の腰の調子と相談しながらやっています。中腰で作業が出来ませんので、腰をすえて土台をしっかりしてから母の介護をする様にしています。まあこれも一種の慣れでしょうか?自分自身、やれば出来るものですね!(桜54)

学習してみよう(19:風向の違いで・・・)

11月9日(火曜日)
 昨夜遅くから宇和島では北西の風が強まっています。
 日本海には発達した低気圧があって東に進んでいます。このため西日本から北海道にかけての日本海側では風が強まって、所によっては雨が降っています。
 また明日はこの低気圧が北海道付近でさらに発達しますので、(西高東低の)冬型の気圧配置となってくるでしょう。
 このような気圧配置になった時、愛媛県南予地方では日本海側の天気とよく似る場合が多いのです。これは、関門海峡から吹き付ける北西系の風が原因です。
 関門海峡からの風が少し<西より>になりますと<南予北部から中予(山間部)地方に>かけ、また少し<北より>になりますと<南予南部から高知県西部に>かけてと、風向によって天気変化が起こります。このため、高知県宿毛市や土佐清水市でも雪の降ることがあるのです。
 冬場の関門海峡から噴出す風向を見定めますと、その時の天気が概ね分かって来ますので、これからの気象情報には注意してください。(桜54)

2010年11月8日月曜日

桜開花観測(43:事前打合せ)

11月8日(月曜日)
 毎年この時期になりますと、翌年(早春)の桜開花観測に関する打合せを行ないます。
 今年度は人事異動によって市の担当者が替りましたので、事前の打ち合わせを行ったのです。生憎当事者は不在でしたが、昨年度の方が居られましたので一応連絡しておきました。
 1月・2月のワークショップ、桜開花観測出陣式などの予定を組み、事前に桜観測隊並びに関係する人に連絡を入れるのです。
 宇和島市の桜開花観測は平成18年3月から始まりました。
 宇和島測候所の閉鎖に伴い、職員不在のため植物季節観測(含桜開花観測)も当然廃止となったのです。翌年から宇和島市では、元気象庁職員(小生と大先輩)に桜開花観測を委嘱し観測を始めたのです。気象庁の観測方法を基本にして実施していますので、全国気象官署との比較が出来るのです。
 日本一に幾たびも輝いた実績を基に、今年も詳細な観測を続け更なる記録に挑みたいと思っています。市民有志の<桜観測隊>の面々も、「今年も!」との思いで観測を続ける予定です。(桜54)

家の管理(80:池の周りの動物)

11月8日(月曜日)
 今日も池の水は満水状態で丸々2ヶ月も続いています。
 その池の周りには、動物を形どった置物が置いてあります。まるで番人のようですネ。上の写真のほゞ中央とその左には(信楽焼きの)狸が居ます。左側の狸の脇には(見えにくいですが)オットセイに似た流木のものが居るのです(下の写真参照)。右端は石灯篭ですが、その中間には蛙が居るのです。
 2枚目の写真は大写ししたものですが、オットセイにも見えますし子犬にも見えるのです。
 池の周りの木々もそのほとんどは小生か(故)父上殿が調達したものです。山から、種子から、また人からと、それぞれ入手経路は違っているのですが・・・。
 この池も半分は小生と故父上殿の手造りなのです。
 上の写真の家は、昭和30年代前半に建てた家で、つい先日まで女房殿の母上は住んでいましたが、近々また来てもらう事になっています。
 このような池がありますと、風情がありまた温度変化も少ないので生活にはとても重宝しています。(桜54)

2010年11月7日日曜日

宇和島を知る(63:定例会)

11月7日(日曜日)
 今日午後から住吉公民館において、宇和島虹色ツーリズムの役員会(定例会)があり出席しました。
 3名の役員さんが欠席されましたので6名だけの会議を行なったのですが、大きな議題はなくそのほとんどがインフォメーションと意見交換でした。
 インフォメーションでは、今月中旬からあちこちでグリーンツーリズムの会合や研修会がありの参加要請事項でした。
 意見交換では、パンフレットの作成やロゴシールの作成、またホームページの立ち上げ等でいろいろ意見が出ました。さらにジャケット作成についても出ましたので、次回の役員会等でかなり前進するものと思われます。
 次第に会の内部がまとまりつつありますので、民宿へ泊まられる方へのアンケート実施や、旅行業者とのタイアップ、部内研修などの意見も出ました。
 現在はまだまだ1年生ですので、これから更なる研鑽を積んで飛躍する<虹色ツーリズム>にしたいですね。(桜54)

日本の苗字(26:キ-タ行)

11月7日(日曜日)
 今朝の新聞でも冬到来の記事があちこち掲載されていました。
 さて上記行では、110余りの姓を確認しています。その中で最も多い漢字は「北」で66姓もありました。次いで「木」は21姓ですが、以下の漢字(喜・橘・城・吉・貴・気・来・亀・切・鬼)は全て10姓以下でした。
 <キタ>と発する苗字には「北」、「喜多」、「喜田」、「木太」姓があり、<キダ>と発する苗字には「気田」、「喜田」、「木田」、「貴田」姓がありました。さらに<キド>と発する苗字には「木戸」、「城戸」、「喜渡」姓がありました。
 珍しい苗字には、「北風(キタカゼ)」、「亀甲(キッコウ)」、「切手(キッテ)」姓があり、素直に読んで良いやらひねくれて読んで良いやら迷いますね!
 それにしても初めて見る・聞く苗字は多く、調べるには何か良い方法はありませんかね?(桜54)

2010年11月6日土曜日

家の管理(79:ちょっとの間に)

11月6日(土曜日)
 今日市内南部でコープの掘り出し市があったらしく、女房殿も子供と一緒に昼前から出かけました。そのため小生1人に母上殿の介護を任されたのです。
 介護の合間にひと仕事をしました。先日刈り込みバサミの柄を修復したのですが、不具合が見付かりましたので、昨日畑に行ったついでに柄になる部分の木を調達しました。その木を再び柄に作り替え取り付けたのです。また修復した刈り込みバサミを使用して、伊吹の木の剪定を行いました。
 先日作った柄に比べ細身になりましたが、重さはやや重くなったのです(木の種類が違ったのです)。よって感触がかなり違っていますが、使っている内に手に馴染んでくるでしょう。
 のき下で柄の修復作業をしていましたら、ご近所の方が見えられ、「手先が器用だね。いろいろ工夫してやっているのは感心する。」といって褒められはしたのですが・・・。(桜54)

仕事遍歴(50:明日天気にな~れ)

11月6日(土曜日)
 今日は我が夫婦第41回目の<結婚記念日>です。
 ところで<天気>は、予報され当たる確率が現在はかなり高くなったのですが、その昔、天気は人間様と関わりがあった反面、<当るも八卦 当らぬも八卦>と言われるほど占う(予報する)事が難しかったのです。またそういったことで、子供の遊びにも入っていたようです。
 写真は小生宅屋上で、孫たちが盛んにスリッパで<天気占い>をしている様子です。
 小生は写真中央(赤い服)の頃、小学校のクラブ活動で<気象班>に入っていました。その頃から理科、特に自然科学に興味を持っていたのです。中学校のクラブ活動も<天文・気象班>を専攻しました。
 一つのきっかけが将来の行動や仕事を大きく左右する事は良く知られていますので、子供の成長と共に行動を見守ってほしいと思います。(桜54)

2010年11月5日金曜日

畑の管理(21:久々に)

11月5日(金曜日)
 今日も朝から晴れ渡り、朝の最低気温は昨日よりちょっとだけ高い6.7度でした。日中は20度を超えています。その日中女房殿を連れて久々に畑へ行って作業をしました。
 小生はまず先日やり残した草刈りです。本来ならば<コスモス祭り>までにはやりたかったのですが、生憎の天気と腰痛のため時間調整が出来なかったのです。小1時間ほどやって全部終了しました(写真)。
 女房殿は写真手前にある芋を畝半分ほど掘りましたが、前回報告した通り<小さな芋>か<かじられた芋>しか出てこなかったのです。しかも数量的にかなり少なく、小生たちはがっかりしました(写真中央の青草の山は除去した芋の葉です)。
 地元農家の人に聞きますと、今年もあちこちで猪や狸等に畑を荒らされ収穫はかなり少ないとのことでした。まあそれでも作らないと我々は食せないのです。今年はあきらめ気味でしたので、少しでも収穫があったことは良かったと思います。(桜54)

ゴミ回収(27:散歩の途中で)

11月5日(金曜日)
 今朝も6度台の気温でやや肌寒く感じました。
 さて今朝の新聞(投書欄)を見ますと、<ご夫婦が散歩の途中で空き缶や瓶などを拾っている>との記事が出ていました。
 小生もその昔(潮岬時代)にそのような事をしたことがありました。小生は健康のため、毎朝(雨降りは除く)自転車で起伏のある周回道路を小1時間ほど走っていたのです。当初はただ自転車で走っていたのですが、そのうち空き缶や空き瓶がかなり落ちているのに気が付き、<どうせ走るなら空き缶でも拾おうか>と思ってレジ袋を自転車に積み込んで走りました。袋一杯が概ね30個の個数となるのです。
 ほゞ毎朝の自転車走行で、<体力的にも強くなり>、また<高血圧であった身体も薬を飲まなくても良くなり>、さらに<周回道路の清掃>も出来たのです。一石二鳥も三鳥にもなったのです。
 ある職員曰く、<町の方から表彰してもらわねばなりませんね!>と。わずか3年間の作業でしたが、自分自身納得した期間でした。(桜54)

2010年11月4日木曜日

家の管理(78:刈り込みバサミ)

11月4日(木曜日)
 今朝の最低気温は6.4度とこの秋一番の冷え込みでした。吐く息は白く屋根は霜が降りたかどうかの瀬戸際の状態でした。
 さて先日刈り込みバサミの柄が折れ<修復しました>とお伝えしましたが、今日はその最終段階で柄の部分を持ち易いように加工しました。
 刈り込みバサミ(写真)の、左右の柄の違いが分かるでしょうか?
 右側は従来の柄で樫の木だそうです。左側は小生宅にあった銀杏の木で作った柄なのです。節があちこちあるのですが、軽くて比較的丈夫なのです。またハサミの部分も砥石で軽く研ぎましたので良く切れるようになりました。買えば2,000円前後しますので助かりました。まあ素人細工ですので何時まで持つのやら・・・、それだけが心配です。(桜54)

宇和島を知る(62:宇和島城)

11月4日(木曜日)
 今朝7時の気温は6.6度と、この秋一番低い気温を示しています。
 さて、宇和島城は現存する全国12古城の一つとして、昭和25年国の重要文化財に指定されました。宇和島市街のほゞ中央に位置する海抜約80mの山頂には、三重三層の天守閣を持ち規模は比較的小さいが美しい均衡を保っている城で、全国屈指の名城だそうです。
 宇和島に初めて城が築かれたのは、慶長6年(1601年)藤堂高虎によって築城されたそうです。当時は宇和郡7万石であったそうですが、慶長19年(1614年)伊達秀宗(政宗の長子)が仙台から入城された折10万石となったそうです。
 江戸期の宇和島城の全景を見てみますと、山頂から中腹、また城山下に至るまで城を有する建物が建ち並んでいます。また城山の周りには海が迫っている様子が伺えました。
 また城山の周囲は約1,250mあるそうです。さらに城山全体に生い茂った草木は約230種類以上と言われ、さながら植物園を呈しているそうです。(桜54=資料は1970年頃の宇和島市観光パンフレットから抜粋しました)

2010年11月3日水曜日

桜つれづれ日記(104:もったいない)

11月3日(水曜日)
 今日は正に朝から晴れ渡り行楽の1日となり、特異日もずばり適中しました。
 さて小生はほとんどの物をうまく使う技術があります。
 先日も小さな鉛筆を削っていましたら、孫が来て「おじいちゃん小さいのに良く削れるね?」といかにも感心したように言っていました。それもそのはず、小生は小さくなった鉛筆はそれに合うよう山から竹を切って、小さな鉛筆をそれに刺し削って使っているのです。その鉛筆の長さわずか2.0~2.5cmほどになるまで使うのです。勿論鉛筆削りでは使用できませんので、全て手で作業をするのです。
 今日も刈り込みバサミの柄が折れていましたので修復しました。その柄も、昨年伸びていた木を切り干していたものを使ったのです。柄に合うように太さと長さを調節し、手にスッキリになる様にカンナで削って用いたのです。これでしばらくは持ちそうです。この柄が悪かったので買おうかどうしようか迷っていたのですが、買わずに済みましたので約2,000円ほど浮きました。
 小生はまだまだ<もったいない>の言葉通り、いろいろな物を工夫して作ったり用いたりします。カマボコ板で作るものもその一つです。(桜54)

仕事遍歴(49:文化の日は特異日)

11月3日(水曜日)
 今日は文化の日で休日です。新聞では秋の叙勲の記事が載っていました。
 さて今日は<気象の特異日>でもあるのです。
 その昔松山で「愛媛の気象百年史」を作った際いろいろと調べました。毎日の天気を晴や雨などに分類し出現確率を出したのです。その時(1890~1989年)の数値を見ますと、晴の出現率が76%、曇が8%、雨が16%となっていました。ちなみに11月22日も晴・曇・雨の出現率は同様の数値でした。秋としては最も高い数値となっていたのです。
 昨夕NHKの天気予報でこの数値を言われていたのですが、その時最近の状況も話されていました。それによりますと、最近では<晴の出現がかなり少なくなっている>とのことで、その数値は60%台に落ち込んでいるそうです。
 それでも11月3日は「秋晴れ」が良く現れる日なので、正に<秋日和>で行楽には持って来いの日となるでしょう。(桜54)

2010年11月2日火曜日

家の管理(77:赤い実の季節)

11月2日(火曜日)
 昼前30分余り散歩に出かけました。その折写真のようなピラカンサスの赤い実が、鈴生り(スズナリ)に生(ナ)っているのを見かけました。
 この木は小生が宇和島にいた(昭和50年代)頃から見掛けているものです。川面に垂れ下がって今にも木が折れそうです。
 小生宅にもその昔はピラカンサスの実が生っていましたが、隣を建て替える際切ってしまったのです。
 今では小さな築山に赤い実の生る<ナンテン>や<アオイ>、また<センリョウ>や<マンリョウ>の木がありますので、これからはあちこちで赤い実が生ることでしょう。またこれをついばみに来る小鳥たちも増えそうです。昨年は蜜柑を木に刺して小鳥を寄せ集めていましたので、今年も木に赤い実が生り始める頃から始めるつもりです。(桜54)

家の管理(76:経年変化?かも)

11月2日(火曜日)
 昨夜1Fのトイレに行った際何か異常を感じました。何気なく下を見ますと便器水溜りに輪が出来ているのです。水漏れです!
 早速素人考えで補修作業を開始したのですが、直りませんでした。フロート?ゴミ詰まり?止水栓?など考えてやってみたのですが・・・。
 とうとう何事も変化がありませんでしたので、知人の大工に電話を入れ直ぐ水道屋に来て頂きました。原因はどうもフロートを止める箇所にあったようです。また止水栓自体も変な付け方をしてあったようです。このトイレは30数年前(小生不在時に)母上殿が注文し、和式トイレを洋式トイレに直したのだそうです。よって現在のような方式ではなく、水道栓分岐等もちょっと違った方式だったのです。
 本日午前中に業者が来て直すそうです。昨夜から今朝にかけての水漏れは致し方ありませんが、やはり仕様は完全でなければいけませんね!(桜54)

2010年11月1日月曜日

宇和島を知る(61:ちょいとお寺へ)

11月1日(月曜日)
 朝のうちちょっと雨が降った後は次第に冬型の気圧配置となって、晴れて風が強くなりましたが余り気温は上がっていません。そうした午前中、買物のついでに女房殿の菩提寺へ行って線香を上げて来ました。
 目の前の鐘楼の屋根には鷺がとまってじっとしていたのです。その脇(鷺の右斜め下)には、お地蔵様が静かなたたずまいでじっと目線を下に向けていました。その右横(写真中央)にはお城が遠くはっきりと見えましたので写真に撮りました。写真の車は小生のものです(写真をクリックすると大きくなるかも?)。
 このお寺の界隈は、俗に<寺町>と言われ多くの寺が集っている所です。屋根の向こう側(川向こう)に2つの寺が、このお寺の南にも北にもお寺が、・・・と言う風に。
 菩提寺のお墓の周りにも他のお寺の墓が沢山あるのですが、寺毎の境界は小生には全く判りません。(桜54)

仕事遍歴(48:めまぐるしい3年間)

11月1日(月曜日)
 いよいよ今日から11月となりました。残り2ヶ月も慌ただしい月日が流れそうです。
 さて小生が、京都地方気象台から松山地方気象台に赴任してからの3年間が、慌ただしく過ぎようとしています。<芸予地震の発生と後始末>、<女房殿の父上の発症及び死去>、<単身暮らし>、<家の改造>など・・・。
 そういった中で最後の転勤辞令が下りました。松山の防災業務課長から清水測候所長への転勤辞令です。四国管内ですので場所も知っていますしまた知った顔も多いのです。それほど違和感はなく、「行かせていただきます」と台長にその旨を伝えました。
 しかしその後の作業が大変でした。転勤荷物の整理や次の課長への申し送り事項など多々しなければならない事は多かったのです。また部外との連携事項なども事細かに記載した書類を多く作成しました。
 退職間際最後のご奉公です。単身赴任で平成16年4月愛媛県から高知県へ県境をまたぐことになりました。(桜54)