2010年10月15日金曜日

宇和島を知る(57:ハッピの文様)

10月15日(金曜日)
 写真のハッピは我が町内のものです。
 小生がその昔(36・7年前)役員だった頃、「町内でも山車を作ってお祭りに参加しよう」との声が出た時、牛鬼や子供みこし(タル神輿)を作って参加しました。初年度はハッピ等は無かったのですが、その後町内等で寄付を募り子供用と大人用、また槍振り用のものを作りました。その数100着にも及んだものと記憶します。
 そのハッピの柄を考案し<地元>らしさを出すようにしました。小生が考案した柄等は、大多数の意見で採用され写真のようなものになりました。
 上の<山>印は山際の「山」をデザイン化、下の波は汐田町の<波=汐>、また中の横三の印は三島神社のマーク、しかもこれを少し変形し波に見立てて<汐>とも表現しました。また色は槍振り用と同じ様にしましたので、とても目に付くようになりました。ハッピを作った当時の町名は、山際(1区・2区)と汐田町だけだったのです(現在は山際1~4丁目、並松1丁目)。
 街中に行っても同じような(色・柄の)ハッピはありませんので直ぐに目に付きます。今ではそのような過去の経緯を知る人は少なくなりました。(桜54)

0 件のコメント: