2009年10月26日月曜日

宇和島を知る(39:町名⑯)

10月26日(月曜日)
 昨日は小学校の参観日でしたので、今日は学校が休みのため孫を1日預からねばなりません。
 さて宇和島の町名の続きですが、今日は以下の3町を調べて見ました。
 「薬研掘(ヤゲンボリ)」は、江戸期から昭和41年までの町名ですが、その昔は泰平寺付近まで海があったことで埋立地だったそうです。天正時代に神田川が付け替えられ足軽が住んでいたそうですが、昭和年代に入って住宅街となったそうです。
 「保田(ヤスダ)」は、江戸期から明治にかけての村名でしたが、来村(クノムラ)、宇和島市の字(町)名となり現在に至っています。ほとんどが農村地帯ですが、近年住宅化が進んでいます。
 「横新町(ヨコシンマチ)」は、江戸期から昭和41年までの町名です。近くに港があったことから江戸期は飲食業を中心とする下町として栄えたそうです。近年は飲食業の他卸小売業も栄えたそうで、沿岸航路汽船の社屋が創設されたそうです。(桜54)

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