2009年4月15日水曜日

宇和島を知る(13:町名⑧)

4月15日(水曜日)
 今月も半月が過ぎましたので、月日の経つのは本当に早く感じられます。
 さて宇和島の地名調査も半ばとなりましたが、今日は以下の3つについて調べました。
 「鶴島町(ツルシマチョウ)」は、大正12年からの地名で元は下村・藤江の一部でしたが、山村豊次郎氏らが土地造成を行い、宇和島鉄道会社が移転して停車場を作り、その後いろいろな交通ターミナル場として発展した町です。戦争による空襲で全町焼失したそうです。
 「天神町(テンジンマチ)」は、大正末期に上記の鶴島町とともに造成された土地の一部でした(正式名称は昭和10年からです)。第三小学校や宇和島商業があったそうです。
 「富沢町(トミザワチョウ)」は、江戸期から昭和41年までの町名でした。町名の由来は宇和島藩の御典医冨沢氏が居住したことに由来するそうです。また上級武士の屋敷が17軒ほどあり、シーボルトの娘(イネ)が居住したとも言われています。(桜54)

0 件のコメント: