8月25日(水曜日)
芸予地震(2001年3月24日)発生後次第に余震回数が減り、また地震自体の仕事も減ってほゞ平常に戻ったのは約1週間後でした。
当初は、地震による地盤の緩みで大雨等の災害が予想され、注意報等の発表基準の緩和措置を取っていましたが、その緩和措置も次第に元に戻しました。また災害調査や災害報告書など災害に関するものも1週間程度で一段落したのです。
だから小生自身、ようやく松山から離れることが出来たのは3月31日つまり1週間後だったのです。
4月3日付の新聞によりますと、3月24日の芸予地震による県内での死者は1名、負傷者は48名と集計されていました。また県内の被害額は34億8767万円(3月28日現在)、そのうち松山市関係で約20億円、今治市関係で約5億円、面河村(当時)で約1億円などとなったそうです。
4月に入ってから地震関係の編成を解除し、1日付の異動者を迎え、ほゞ平常の勤務に戻りました。(桜54)
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