2009年2月10日火曜日

宇和島を知る(5:町名④)

2月10日(火曜日)
 今朝もご近所の方の訃報が舞い込んできました。明日葬儀があるそうです。
 さて今回も宇和島市内の町名のお話です。
 「賀古町」とは、江戸期からある町名ですが、宇和島藩の御典医賀古家の屋敷が存在したことに由来するそうです。20数軒の上級武士の侍屋敷があったそうです。
 「寿町」は、江戸期は干拓地で「泉屋新田」といって藤江の一部でした。昭和10年代に市街化となり昭和初期には「泉屋町」と言っていたそうです。
 「坂下津」は、江戸期からの村名でしたが、旧来村や旧九島村の一部になったりしたそうです。昭和初期には近江帆布などの工場が誘致されましたが、その跡地には海軍航空隊が終戦まであったそうです。
 「桜町」は、江戸期からの町名ですが、周囲の町と少しずつ合併離散があったそうです。町内には明治期に設立された女学校があったそうです。(桜54)

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