2009年2月15日日曜日

仕事遍歴(15:次の予報官)

2月15日(日曜日)
 昭和62年4月、松山地方気象台技術課予報官として部内異動することになりました。
 空港の予報は空港から半径9km以内に出す予報でしたが、技術課が出す予報は愛媛県内に出す予報となり面積的に広くなりました。
 私たちが現在目や耳にする予報と同じなのですが、予報を出す様子は今と少し異なります。当時は天気図等をFAXで受画し、それを基に予報官が時系列に予報を組み立てていました。またその時上級官署(高松)の指示や相手の予報官との相談などを踏まえ、愛媛県を3分割した地域(東予・中予・南予)に予報を出していたのです。
 県内を幅広くカバーするため予報は大まかなものとなっていますので、狭い地域を見た場合には当り外れが大きいのです。そういったことで苦情の電話がかなり多かったこともありました。空港の予報官と地台の予報官との違いは、外部の方と直接つながっている状況にもありました。(桜54)

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