2010年1月22日金曜日

宇和島を知る(5:宇和島城)

1月22日(金曜日)
 宇和島城は旧名を「板島丸串城」と言い、戦国期の天文・永禄年間には番城があったそうです。西園寺の居城として、また後の藤堂高虎が天主を作り、さらに伊達秀宗の入城で現在に至っています。
 城郭は五角形を成し、北と西は海に面していました(現在は全て埋められ市街化しています)。他の辺(東・南・南西)は海水を引き入れた堀となっていましたが、現在では堀を示すようなものは残っていません。かろうじて地名など(堀端)に残っているくらいです。
 堀が五角形をしていたことにより、市街路もほゞ五角形を成しています(写真は丸山から遠望の宇和島城)。
 現存の城天主は寛文年間に大修理を施した建造物で、国の重要文化財に指定され、現存する天主12個の内の一つとなっています。
 城山は、うっそうとした植物に覆われ、まるで天然の「植物園」のように亜熱帯の植物から温帯の植物まで幅広く、数百種の植物が植わっているそうです。(桜54)

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