12月28日(日曜日)
14年の長きに渡った宇和島での生活でしたが、昭和60年3月宇和島測候所を後にしました。
その2年前の昭和58年1月に父上殿が他界し、父上殿が経営していた商店もやや暗雲が押し寄せてきたため閉店を決めていたのです。翌年(昭和59年)、一度決まりかけていた転勤は未遂に終りましたが、その翌々年の昭和60年3月には「松山地方気象台空港出張所予報官」として赴任することが決まりました。
小生は今まで「予報」と言う仕事を全くした事がなく、また専門職となったのも初めてでした。だからまず、「専門職としての仕事」また「人を指導するという立場」などで不安は一杯でした。さらに家の関係もありましたので単身で赴任地に赴くことになったのです。
こういった諸々の事項が、今後の小生の生活・技量を大きく左右したのです。(桜54)
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