2009年6月2日火曜日

宇和島を知る(18:町名⑫)

6月2日(火曜日)
 いよいよ6月となり夏に入りました。また今月は梅雨入りの季節です。しかし5月は稀に見る少雨の月だったので、どのような梅雨空になるのでしょうか?
 さて宇和島の町名調べの続きで、今回は「本町」、「桝形町」、「丸穂」を調べました。
 「本町(ホンマチ)」は、江戸期からの町名で城下の東側に位置しています。明治頃からは有力な商店が並びとてもにぎわっていたようですが、戦災でほとんど消失したそうです。
 「桝形町(マスガタチョウ)」は、昭和初期からの町名で辰野川河口左岸に位置し、江戸期の干拓地に出来た町です。以後も明治・大正・昭和と埋め立てが続き市街化となり、昭和7年桝形町が独立したそうです。
 「丸穂(マルオ)」は、鬼ケ城の北西に位置し宇和島城下を半円状に取り巻く地域でした。元は毛山村と称していましたが、明和7年(江戸期)に丸穂村と改称、大正11年まで続きました。村内の字は現在も宇和島市内の町名として残っています(野川・大超寺奥・妙典寺前・山際など)。よって現在の「丸穂」は大正11年宇和島市が誕生して以降の町名となります。(桜54)

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