2016年8月9日火曜日

宇和島を知る(36:南予一帯を!)

8月9日(火曜日)
 今日は長崎に原爆が投下された日です。
 当宇和島でも終戦直前にはかなりの爆弾が投下され、市街地のほとんどが焼けました。
 さて今日は女房殿の母上を病院2か所に連れて行きました。その際ある場所で思わぬ看板を目にしました。その場所は城山の直ぐ南にある地域で<堀端町>と呼ばれる所です。という事はその昔(江戸時代)はその周辺にはお濠が巡らされていた場所なのです。その一角に記念碑が立てられていました。よく見ますと宇和島地域にあるバス会社の経緯なのです。
 「この場所は、大正7年11月に創立創業を始めた<宇和島自動車>の社屋跡地です。・・・(以下略)・・・」と書かれていたのです。
 この自動車会社は愛媛県南予一帯の路線を持ち、県都を始め大阪等にもバス便を走らせているのです。地域住民の足として永年親しまれています。
 その昔は当家でもこのバス会社の停留所として長い間お手伝いをしていた処です。市内バスの終点でもあり、市外バスも乗客があれば止める用意の手旗を掲げていたのです。
 終戦前後には木炭車バスが走り、車掌や運転手の人たち共仲良くなっていた時代がありました。商家を営んでいた小生宅では、新道が出来バス路線が変わってからは全くバス等の恩恵を受ける事が無くなりました。(桜54)

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