2009年5月15日金曜日

宇和島を知る(16:町名⑪)

5月15日(金曜日)
 5月も半ばとなりました。大陸からは前線が東に延びてきて天気下り坂のようです。
 さて宇和島の町名の連載も今回で11回目となりました。
 「広小路(ヒロコウジ)」は江戸期からの町名で、藩主の居住であった浜御殿から宇和島城への通路であったことに由来するそうです。中心部に位置していましたので、明治以後武家屋敷の代わりに官公庁(警察署・郡役所・裁判所など)が進出したそうです。
 「船大工町(フナダイクマチ)」は江戸期からの町名で、干拓され船着場があったことで船大工が多く居住していたことによるそうです。昭和41年の町名変更でなくなりました。
 「弁天町(ベンテンチョウ)」は、干拓地の湿地に中にあった弁天様に由来するそうです。昭和10年頃からの町名で、旧町名を「泉屋町」と言っていましたが3地区に分け、その1つが弁天町になったそうです。
 昔の町名は、町内にあったものや居住者から由来したものが多いようです。(桜54)

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