2012年5月14日月曜日

仕事遍歴(15:連絡船)

5月14日(月曜日)
 日本は多くの島で成り立っていますので、その昔から海上交通は発達しています。また多くの人や貨物を運ぶためには船は欠かせない乗り物でした。さらに荷の積み換えをしないようにと考えられたのが<連絡船>なのです。
 四国の連絡船として、宇高連絡船(宇野=岡山⇔高松)と堀江(愛媛)⇔仁方(広島)航路がありました。まだ小さな航路もあったのですが・・・。
 日本最長の連絡船には、北海道函館市と青森市を結ぶ連絡船(青函連絡船)がありましたが、海底トンネルの開通でその姿を消したのです。
 そういった連絡船は、転勤族が利用したりまた就職に利用したり観光に利用したりと様々な人を乗せ、数々の思い出を作ったものですが、近年は航空機の発達と共にその役目を終え姿を消しました。
 青函連絡船で利用され名が出た<羊諦丸>の一般公開が新居浜市で行われていました。小生も<八甲田山丸>なども1度だけ利用したことがありました。勿論宇高連絡船は就職面接時等に(神戸へ)利用したこともあったのです。懐かしい思い出です。(桜54)

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